2012年8月26日日曜日

Happy Together vol.4




Happy Together vol.4














「好きになってしまって、すまなかったーー…」

シウォンの、少しかすれた声が静かな部屋に響く。

外の風の音。

まだ冷めない、口づけを落とされた手の甲の、熱。

全てが頭の中を錯綜する。












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静けさを破ったのは、ヒョクチェの裏がえった声だった。

「は…ば   ば、ば、ばかじゃねーの⁈」
険しかった表情が崩れて、一瞬にして驚きで溢れる。


「すまない…」

シウォンは本当に申し訳なさそうに肩を落としていた。
座り込んだまま下を向いてしまい、すっかり崩れてしまい額にかかった髪で
表情はもう分からない。


しかしヒョクチェは見逃さなかった。
俯く寸前に、この男の目から流れ落ちていた涙を。


なんだよ、なんなんだよ。
この言葉だけがさっきからヒョクチェの頭を一杯にしていた。
考えるのはあまり得意な方じゃない。
くしゃりと落ちたネクタイと、自分で脱がせて投げやったスーツの上着がチラリと目に
入る。


それは先程のキスを連想させるのに充分で、なんだが自分達が途方もなく乱れてしまっ
たかのような、そんな妄想のおまけ迄付けてくれた。


コンロの火が消え少しずつ冷えてきた室内の空気が、ゆらりと揺れる。

肌寒さを感じたヒョクチェは、シウォンの熱い体温を思い出し頭の芯が
ぼうっとなるのを感じた。


いつだってなんとなく流される様に振るまって来た。


けれどこの男の、シウォンの、津波みたいな奔流は…。
ヒョクチェの緩やかな流れに逆らって、突然にも押し寄せた。



激しい熱と共にまだ唇に残る生々しい感覚を再現する。



優しかった。
甘かった。

表面張力を失った液体が溢れ出るような…

突然で自然過ぎるキスだった。

ーーもう一度。

そう
口が滑ってしまいそうで。

ヒョクチェは思いっきり、頭を振った。



「好きって…今会ったばっかりでそんな事あるわけないし」


当たり前の事を言って居るのに、この男の姿を見て居ると自信が無くなってしまう。


なんだか、打ち萎れたこの男を抱え起こして抱きしめてしまいたくなる。


あのキスは…キス以上の何かを感じた。

だから動揺した。

やめたくなかった自分にゾッとした。


どういう事?
何故?
一目惚れってやつ?
男が男に?
こんなに完璧な男が、この俺に一目で?


ロマンスに憧れる少女じゃあるまいし。


狐につままれた様な気持ちで、
何も考えられない。

シウォンが慎重に、静かに口を開いた。


「驚かせてしまってすまない。実際自分でも驚いているんだ…。」

「こういう気持ちが…本当に初めてで。」


そう言って、大きな手で一度自分の顔を拭くと
こちらをまた、優しいのに、つらそうな眼で、見つめた。


「だからと言ってさっきの行為が…正しいとは思わない。だから、謝罪を受け入れて
くれないか」

一言一言を絞り出す様に、慎重に口に出す。
堪らなかった。



ヒョクチェは、シウォンの顔に手を伸ばすと、拭いきれていなかった涙を親指で拭き
取る。


「許す…。」


それだけ言うと、困った様な嬉しそうな顔をしたシウォンの目を
真っ直ぐに見て口を開いた。


「俺はあんたの気持ちがよくわかんないし、今すぐどうするってのもよくわかんない。」


「でもさ、俺なんとなくあんたと仲良くなりたいなとは思うんだ…」


「もっと知りたい?みたいな…なんだろう…わかんねー」


そう途切れ途切れに言うと、ヒョクチェは親指の爪を噛んだ。


シウォンは少し考えて、一つ頷くと「有難う」と呟いた。

本当の気持ちを正直に伝えた。
ヒョクチェはこんな状況に対して本当に正直に、真剣に考えてくれている。
それだけでシウォンは嬉しかった。

今すぐヒョクチェを抱きしめて愛していると言いたかったが、その考えは心の中で
捨てさった。


ヒョクチェは顔を上げてシウォンを見ると、うん、と言った。
そして続けて、深々と頭を下げた。


「俺、人との距離感掴むの苦手だから、煽る様な事しちゃったと思うし…」

「気持ちも知らずに意地悪な事言い過ぎた。俺もごめん。」


シウォンは慌ててヒョクチェの肩を掴んで頭を上げさせた。

「君が謝る事は何一つないんだ!俺が変だからこうなってしまって、だから…」

でも、と言うヒョクチェの口に人差し指をあてて制したその時、2人の背後で物音が
した。

咄嗟に後ろを振り向くと、そこにはポカンと口を開けて買い物袋を取り落とした男が
立っていた。


「何してんの?」


その男はほうけた表情でシウォンとヒョクチェをじっと見ていた。

「…ドンへ」

ヒョクチェは困った顔でドンへとその男に呼びかけると、シウォンの手を優しくのけ
て、そちらへ向かい歩いた。


「あんた誰?」


少しだけ、敵意の混じった口調でドンへはシウォンに向けて問いかける。

「ドンへこの人は…」

ヒョクチェの表情を素早く読み、ドンへと呼ばれた男はヒョクチェの手を引き自分の
そばに寄せるとシウォンを睨んだ。

「今この人と何してたの?」
ドンへは真剣な眼差しで、今度はヒョクチェに問った。

シウォンは何かを言いかけたが、どうしようかと逡巡して胸の前で手を合わせて首を
傾げヒョクチェを見つめる。
ヒョクチェは小さくため息をつくと、ドンへの頭を小突いた。
「一体何してたっていうんだよ俺達が…」

「だって今この人ヒョクチェの口に」
言いかけたドンへを睨んで遮ると、ヒョクチェは続けた。

「俺今日、屋根の修理しようと思って屋根に登ってたんだけど」

「あんな雨の中で⁉」
ドンへが驚く。

「そ、雨だからだよ。家ん中洪水になっちゃうと思ってさ…姉さん達の留守中にそんな
事んなったら殺されちゃうだろ」

ヒョクチェは、結局部屋ずぶ濡れなんだけど…と呟いて髪をがしがしと掻き回した。

ドンへは難しい顔をして腰に手を当てる。

ヒョクチェは、そんなドンへをちらっと見やると咳払いをして言った。


「で、屋根から落ちた。」


ドンへは口をこれ以上あかないだろうと言うくらいポカンと開けて、フリーズしてし
まった。
ヒョクチェはすかさず言葉をつぐ。

「でも落ちる時にこの人が下で受け止めてくれて全然平気だったんだよ!だからこの人
は俺の命の恩人で、うわっ!」

下を向いていたシウォンが、ヒョクチェの驚いた声に更に驚いて顔を上げると、ドンへ
がヒョクチェに抱きついていた。

正確に描写するとしたら、抱きついていたというより…しがみついていた。

ヒョクチェの首元に埋めたドンへの顔が、真横から少し見える。
顔を真っ赤にしてボロボロと涙をこぼしながら、嗚咽していた。

「無事でよかった…っう…怪我してない…?痛いところ…ない?よかった…」

ドンへの手は、ヒョクチェの身体に赤い痕を付けるほどに、強くヒョクチェを抱いて
いた。
細い腰はドンへの力強い腕に抱きすくめられ、反る様にしなっている。
シウォンは眼の奥にチリッとやけどの様な痛みを感じた。


「泣くと思った…」
ヒョクチェはドンへの頭に手を載せて、彼をなだめすかす言葉を暫く続けていた。
あやすように、慈しむように。
面倒そうに振る舞いながらも、そこにある信頼は揺るぎない。


しかし、その時々でヒョクチェがこちらを、チラリと見やる。
共犯者の目だ。

”秘密。”

ヒョクチェの目はそう訴えていた。


胸に手を当てて小さく頷いて、シウォンはそれに応えた。



ヒョクチェの眉がピクリと動く。
伝わった事に驚いたようだった。
そして赤い、綺麗な唇が「ありがとう」の形に動く。

シウォンは彼との約束の様な、小さな秘密を抱えた事がなんだか嬉しくて、心に痛みを
感じながらも…微笑みながら、また下を向いた。

その時、外で控え目なクラクションの音がした。

「あ…」
シウォンが反応する。

ヒョクチェがシウォンを一瞬だけ、名残惜しそうに見つめた。

まだ泣きやまないドンヘを引きはがし、そばにあった椅子に座らせるとヒョクチェは
シウォンに「お迎えだろ?」と訊いた。


「ああ…もうそんなに時間が経ったんだな。」
シウォンは腕時計に目をやる。

シウォンは、ヒョクチェが最初に渡してくれたバスタオルを手に取ると肩にかけて
言った。
「これ、借りて行くよ」

「返しに来るんだろ?」
ヒョクチェが目を細めて、口元に笑いを浮かべている。



「お礼も付けて、返しにくるよ」
シウォンが楽しそうに、ゆっくりと笑った。
そしてそのまま、ドアの方に歩いて行く。



共犯者だ。



「また。今度は屋根から出迎えないようにする。」
ヒョクチェの声を背中で受けて、シウォンは微笑みを隠しきれない。


「近いうちに」
肩越しに手を振り、一瞬だけヒョクチェを返り見てその表情に確信する。



俺達は共犯者。



まだ名前のつかない、2人の交錯する思いを。

少しだけ、少しだけ膨らんだ期待感を胸に。



シウォンは、ヒョクチェの家を後にした。












To be continued...








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