2012年8月9日木曜日

Happy Together vol.1




Happy Together vol.1


































2011年、5月。
ソウル郊外、星街。


雨が降りしきり、薄暗く狭い路を一台の高級車がゆっくりと走っていた。


大粒の雨がフロントガラスに叩きつけて来ている。
視界は白く霞んでおり、数メートル先を見るのがやっとだ。

「こんな日に視察なんてついてないですねえ…」

運転手が苦笑いでこちらを見る。
バックシートに座る、趣味の良いダークグレーのスーツの男はふうっと
息をついて少し笑った。

「仕方ないさ、スケジュールが今日しか空いていなかったんだ。」

「相も変わらず御忙しいですね。最近はお父上よりも随分シウォン様を
お乗せする事の方が増えましたしね」

シウォンと呼ばれたその御曹司然とした美しい男は、人懐こい笑みを浮かべ、運転手に応える。

「そうそう、父さんには少し休んだほうが良いと提案したんだ。お前も心配してくれて
いただろう?」

「ええ、ええ。」

「だから実は、この辺りの地域の開発事業は先週付けで私が引き継いだんだよ。
それで……」

「なんだあれは⁉」

男は突然話を中断して叫ぶと、曇ったガラスを拭いて外の光景に目を見張った。



「あれは…!?」


運転手が弾かれるように外を見ると、酷い雨の中、建て並ぶボロ屋群。
その中の一つの、一層荒れ果てた家、その二階の窓の外側に人影がある。

「車を止めてくれ!」

運転手は困り顔で、男を一瞥するとすぐにブレーキをかけた。
ボロ屋の人影が、ブレーキ音の後に心なしか揺れた気がする。

男は、車が止まりきるのも待たずに車から走り出る。


「危ない‼」


人影が大きく揺らぎ、小さく「あっ」と叫ぶ声が聞こえたかと思うと、
男が人影の真下に走り込み、落下してくる影へ両腕を広げた。


「くっ…」

落下で勢いづいた、両腕にかかる余りの重みと
弾みで地面に着いてしまった両膝の、叩きつける様な痛みに男が声を漏らす。


激しく脈打つ心拍数に、逆に冷静さを煽られ男は深呼吸をして目を開ける。

瞬時の興奮で周りの音が一切聞こえない。

男の背後から走り寄る運転手の気配だけを感じた。

大放出されたアドレナリンで、聴覚以外の感覚が限りなく鋭敏になっている。



目を開けてすぐに目に入って来た、その両腕で抱きとめた存在は、真っ白だった。

先程まで、薄暗い街と雨しぶきとで影としか認識していなかったその人は
真っ白な天使だった。

くしゃっと顔に張り付いた白っぽい金の髪。

一瞬、女性かとも思った。

しかし雨に濡れ、何も身につけていない上半身で男だと認識する。

辛うじて身に付けている白いハーフパンツは、雨で素肌にぺったりと纏い付いている。


裸足のつま先や力の無い指先や唇が、意識を失っている人間にしては
似つかわしく無い色、薔薇が咲いた様なピンクに染まっていた。

そんな衝撃的な生き物が、ぐったりと腕の中に力無く昏倒しているその姿は
天使と形容するのが精一杯で。


男は一瞬の内に逡巡し、馬鹿な…と思い直し頭を振るとその瞬間肩を強く
揺さぶられた。


「坊っちゃん!大丈夫ですか⁈シウォン坊っちゃん、シウォン様!」


瞬間、男の世界に音が戻った。


「て…」


「お怪我は⁉痛い所はございませんか⁈」


「て…天使が落ちてきた…」


「は⁉ 坊っちゃん頭でも打ちましたか⁉ …いや、そんなはずは…」

そして男は、運転手が騒いでいる間にもう一度自分が腕に抱えているもの
を確認する。

当たり前の事だが、人間だな、と思う。

と思ったら、その人間はまだ身動きすらしていない事に気付いて、一気に男
は青ざめた。

「1番近くの病院は…!?」
叫び気味の声で運転手ヘ問う。

顔に叩きつける雨粒を拭いながら、運転手が雨で霞む周囲をなんとか確認して
「すぐ近くに有ります」
と言い男に手を貸そうとした時ーー・・・・


天使が、ピンク色の唇を半開きにして大きく息を吸い込んだ。


「っは…、はぁ…う…ん…」


眉がしかめられ、まるで眠りから覚めたように伸びをすると
その綺麗に閉じられたままだった目蓋が、ゆっくりと開いていく。


そして、ぱっちりと開かれた猫の様な目が、男の視線と重なりあった。

数秒、状況を把握しきれなかったのか、口が半開きのままアーモンドアイをパ
チパチさせて、男と運転手を交互に見ていた。


男が説明しようと困り顔で口を開いた瞬間、天使は大きく口を開けて一気に
叫んだ。

「あーっ!!」

「屋根!!屋根の穴!」

「やばい!あーっどうしよう!」

ちょっとだけ鼻にかかった声でマシンガンの様にまくしたてる天使(少し疑わ
しくなって来たが)に、男は驚き、苦笑しながら話しかけた。

「君、その屋根から落ちて来たんだけど、状況は…分かるかい?」

「ーー…あっ!!」

一際大きな声を出すと、自分の体をペタペタと触り始めた。


怪我がないかどうか確かめているのだろう。

だが、直ぐさま自分が男にお姫様抱っこされているという事実に気が付いた。
慌てて男の腕をすべりぬけると、地面に尻餅をつく。

既にびしょ濡れでぐしゃぐしゃだった白い体に、泥水が撥ねて、滲んだ。

男が、髪から滴る雨水を両手で拭い、後ろを見やると、運転手がやれやれと肩を竦めて
いる。

先程までの緊張感が、まるで何年も前の出来事かの様に雰囲気が緩む。

男はなんだか可笑しな気持になり、少しだけまだ痛む足をさすりながら立ち上がって
天使に手を差し出した。

微笑みながら、片眉だけを上げて「ほら」と言う様に掌を少し揺らす。



「あ…りがとう」
やっとの事でまともに喋ると、男の手を取り立ち上がった。



豪雨。
ソウル郊外、午後16時。
激しかった雨脚が静かになって来て、暗い空にオレンジが滲み始めた。



これが大財閥御曹司、チェ・シウォンと、貧しい家庭の長男、イ・ヒョクチェの
初めての出会いだった。




To be continued...





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