2013年9月23日月曜日

Le Cirque Paradiso vol.3 -黒の外套とサーカス団-












「サーカスの天幕を一度くぐったならば
貴方は自分自身が何者であるのか忘れなければならない。


サーカスの空気を一度肺まで深く吸い込んだのなら
貴方は日々の出来事を全て忘れなければならない。


何故ならこれから貴方が目にするのは、それらを全て覆すような
めくるめく”非”日常であるからだ。


貴方の日常が、いかにもつまらく思えてしまうような
きらきらと妖しい危険な世界なのだ。


幻惑と、鮮やかなたくらみに満ちた
一生の宝物になる夜の魔法が、そこには張り巡らされている。」






「おしまい。」

「えーっ、おしまい?」

「そう、お話はここまで。」

「もっと聞きたい……」

「ふふ、お話の続きは、見に行こう。」

「見に?」

「そうだよ。ユナも見ただろう、先週、沢山の馬車や車が森を抜けて行くのを。」

「ジョンスお兄ちゃんと、お散歩の時に見た———?」

「そう、サーカスだよ。」

「サーカス!ほんと?あれがサーカス?行く!早く行こう!」

「今日から始まるんだ。」

「嬉しい!私、着替える!」

「うん、でもあんまり可愛いお洋服はダメだぞ?」

「なんで…?私おめかししたい。」

「だめだめ、あんまり可愛くて素敵な子は、連れて行かれてしまうんだから。」

「えっ!」

「サーカスの夢の魔法にかかってしまうと、目を瞑ってる間に攫われちゃうんだよ。」

「いや、ユナ、お兄ちゃんとお別れはイヤよ。」

「うん、僕もイヤだし。さ、着替えて!うるさい姉さん達の気付かない間に
二人で出かけよう」

「うん、うふふ…!あ、ねえ、お兄ちゃん————」

「うん?」

「あのね、もしかしたら———ドンヘも、そこにいるかしら。」

「ドンへは、そうだねえ、もしかしたら……。」

「可愛いから、ね、連れて行かれたのかもしれないもの。」

「でも…あんまり期待しちゃいけないよ。ドンヘみたいな子は、いつの間にかいなくなる事もあるんだ。」

「うん、分かってるよ……。着替えて来るね」

「待ってるよ。ああ、久しぶりの———サーカスだ。」









Le Cirque Paradiso vol.3 -黒の外套とサーカス団-
















漆黒の外套。

少しだけ透かしの入った、黒い丸眼鏡。

外套と同じ色のシルクハット。

甘いムスクの、エキゾチックな香り。


”Du "cirque", vous en voulez encore……”

"Bravo……bravo……"

"Encore……"


小声で、歌うように呟き、唇の端を上げてふうっと笑う。

黒い外套を着て、魅惑的な悪魔のような出で立ちでシウォンは
小さな街の商店街を闊歩していた。

「La vie……Cirques..」

肩で風を切るように、さほど寒くもないのにコートの襟を立てて裾を翻し歩く姿は
街の人々を威圧する。
しかし、この姿を一度でも見た事のあるものは、(運良く長生きをしている連中は、
2度は見た事があるかもしれない。)
この姿の現われた後に活気づく、にわかにお祭りじみた街の空気を覚えていて
微かに微笑みを浮かべたであろう。


「ラララ、ララ…」


シウォンは機嫌が良さそうに、街道の物乞いに微笑みと小銭を景気良く投げる。

巡業サーカス団ル・シルク・パラディソの、妖しくも美しき団長シウォン。

彼は興行のある街々で、必ず毎日教会へ赴く。

サーカスが街に着いてから、興行が始まるまでは大抵一週間ほどの準備期間が有り、
それまで殆どの団員達が
サーカスに籠り切りになるのに対してシウォンは毎日街へ出て行くので必然的に
街の顔なじみになる。
用事は協会へ行くだけなのだが、話題の種を作っておく事も大事な仕事だ。
基本的に見た目の威圧感に反して至極人当たりの良いシウォンは、
適度に街の人々と交流している。

「団長さん、今週は良い食材を大量に入れてあるよ。まかないにどうだい」

「後で使いを寄越そう。とっておいて下さいね、マダム。」

「あんたとこのブランコ乗りはセクシーかい?」

「実は新しいブランコ乗りなんですが、その艶やかな技ときたら猛獣共も
息をのんで唸るのを忘れる程で」

「ねえねえ、ゾウさんは居る?」

「残念ながらゾウは居ないが、きっと君の気に入る美しい動物達がお辞儀して
君を待っているよ。」

とまあ、こんな感じでシウォンは町中の人々に期待と愛想を振りまいて回っていた。
サーカスへの、街の期待はどんどん上がって行く。
退屈な田舎の街では、サーカス程の娯楽は中々無いものだ。

そしてサーカスの時期の、もう一つの楽しみといえば、きらびやかなサーカスの人々が
街の中に流れ込む事だ。
普通の生活を営むものではない、独特の華やかな雰囲気を纏った芸を持つ人々が、
日常に介入する。
そして、ル・シルク・パラディソ程の大所帯ともなるとそれは結構な数の
異邦人が街に訪れる事となる。

目を引くオレンジの髪の美しい女が酒場で歓迎のお礼にジプシーのダンスを踊ったり
退廃的な雰囲気の青年が街を歩けば、街娘達の格好の噂の的となる。
そういった事が、必ずサーカスの訪れる街では楽しまれていた。
そしてその期待を胸に、街の人々はサーカスを歓迎する。

しかし、基本的にはサーカスの一団は旅芸人のようなもので、
行く街々で芸をし、お金を貰う。
そういった昔から繰り返されている仕組みが染み付いた田舎の人々からしたら、
サーカス団というものは
珍しく自分達と同じ地位の異邦人であり、ともすれば自分達が優位に立てる
ものでもあった。
貧しい暮らしの中で、階級は勲章程にものを言う。
そう言ったものの風当たりを思いっきり食らう事もしばしばあり、
特にこの街では、季節ごとに訪れる高階級の貴族達の生活を間近で見ている人々の
鬱屈した不満などが、小さな不審感で爆発する事もあり得るのだ。

シウォンは、出来るだけこうやって先んじて飄々と街を出歩く事で、
そういった不審の種を摘み取って行く。
理由を考えれば面倒な事だが、シウォンはこう云った事を楽しんでやっている
節があった。
団内でも食えない性格で有名な、独特の物差しで考え行動する彼の全てに、
常人に分かり易い説明などついた試しがない。

身なりだけみれば、近寄りがたく妖しい雰囲気が漂う。
しかして黒いコートの中身は、完璧な程の肢体を隠し持った慈愛の微笑みをたたえる
美男である。
言葉にはある種の威圧感があるが、同時に海のような深みと穏やかさを併せ持つ。
無礼な言葉でからかいを口にする者に、一瞬だけ恐ろしげな表情を作ったかと思うと
大きな口をニッと広げて笑い、軽口でうまくかわしてしまう。

そんな彼の雰囲気と、美しい彫刻のような面差しについ恋心を抱く女は数知れず。
彼は優しく彼女達を抱いて、私は貴方にふさわしくありませんと耳元に囁いて去る。
それでもと彼を追う女達にはご丁寧に、彼女達を想い目で追っている男達の
存在を教え、彼らの想いを代弁する。

彼の歩いた後には、謎めいた陶酔と、説明のつかない憧憬のようなものが
尾を引いて道を作る。
そしてそれを追うように、人々はサーカスへと足を運んだ。

最初の興行を遂に今日の夕方へ控え、シウォンは今日も朝から、
教会へと出向いていた。

すると教会の入り口に、白いシャツに割と仕立ての良いダークグレーのズボンの
青年が座って本を読んでいる。
シウォンが気にせず教会に入ろうとすると、その青年が慌てて立ち上がり
シウォンを呼び止めた。

「あ、待って!」

「———?」
無言でシウォンは小首をかしげ、眼鏡を外す。

「団長さん、あ、えーと団長さんで良いかな?」

「ええ」

「実は君を待ってたんだ」
シウォンは無言で微笑み、先を促す。

「サーカスにね、今日行こうと思っているんだけど、あの、と———」
青年は早口でまくしたて、一度口ごもり、何かを逡巡した。

「虎は、いるかな……。」

「虎……ですか?」

「あ、変な質問だと思うんだけど、いや、実は小さい頃に一度ね、
ル・シルク・パラディソサーカスを見た事があるんだ。
その時に出会った虎がいるかなと思って、て……」

「そうだったんですか。うちには虎が3頭居るんです。どの虎かな……」

「男……いや、雄だったと思うんだよなぁ……」

「ああ、あいつかな。貴方の幼い頃だと、30年程前ですか?」

「あ、やだなあ、僕はまだギリギリ20代だよ…」

「冗談ですよ。」
シウォンはふ、と息を吐いて笑うと、ポケットから紙切れを差し出した。

「お昼の公演ではなくて、夜、いらして下さい。特別な公演をしているんです。
きっと貴方のお探しの虎に会えると思いますよ。」

「ほんとかい!?ああ、嬉しいな、あいつに会えるのか。ああ、嬉しいな、
肉でも差し入れに持って———
あ、夜……、夜の公演か。あの、それって……妹も連れて行きたいんだけど、
その、大丈夫かな?」

「勿論です。私達は子供の怖がるような出し物はしない主義ですから、
安心していらして下さい。」

「そうか、なら安心だ。嬉しいな……」
青年は、本当に嬉しそうに、えくぼの現われる美しい微笑みを浮かべた。
そして、渡された紙切れに描かれた火の輪をくぐる虎の絵を眺めて、
感慨深そうに絵に指を這わせる。

「———ちょっとだけ色っぽい場面があったら、妹さんの目を覆ってあげると
いいでしょう。では、お待ちしております。私は暫し神にご挨拶を。」

「っああ!そ、そうだね。———引き止めちゃってごめん。楽しみにしてるよ!」
青年は少し恥ずかしそうに口に手を当てて苦笑した。

「では、失礼。」

「あっ、そういえば、君のとこに犬は居る?」

「犬の芸ですか?」

「妹が、とても犬が好きなんだ。それに———」

「うちは犬の出し物はやって無いんです。残念ですが。」

「そっか、有り難う」

顔の横で小さく手を振る青年へ微笑みを投げかけると、
シウォンはまた眼鏡をかけ直し、教会の中へと入って行った。



To be continued... 

1 件のコメント:

  1. ジョンスとユナの美しい兄妹・・・
    二人ともサーカス団にさらわれちゃいそうで…ドキドキです(笑)。

    夜にしか観られないR18な虎さん・・・
    色んな意味でヤバイっ!
    食べられちゃったらどうしよ~❤←むしろ率先して食べられにいく勢い(笑)

    シウォン団長の社交性と本音との温度差が、
    これまたリアリティーありますよね~(苦笑)。

    ジョンスが子どもの頃に会った団長は、誰なんでしょうか?
    そもそも、彼らは年をとらないんだろうか・・・?

    いやいや・・・団長たちは人間なんですよね?
    何か普通に、不老不死の媚薬とか飲んでそうだな~(汗)。
    そんでもって、いい匂いを全身から垂流してそうです♪

    ゆっくり読み過ぎたせいか、途中BGMが終わってしまい、
    慌てて上の方まで戻って、改めて再生ボタンを押し直しました(笑)。
    音楽を聴きながら読むのが癖になりそうです。

    シルク・ド・ソレイユと&SS5の、コラボでしたか!?
    私は、過去に二度ほどシルク・ド・ソレイユを観たことがあるんですが、
    素晴らしく完成されたエンターティナー集団ですよね~!
    芸術性も高くて、サーカスというものの概念を根底から覆されました。

    今回のKaiteさんの作品は、以前足を運んだことがある
    パリの小さなサーカス小屋をイメージしながら読んでいます。

    劇場とは異なる摩訶不思議な空間のワクワク感は、最高ですよね~♪

    毎度、ドンへ目線バリバリで食いついてしまうんですけども(笑)、
    それがKatieさんの狙いと伺って、すっかり三蔵法師の掌の上の孫悟空だな~と(爆)。
    如意棒は出せませんが、気持ち悪い汁とアドレナリンは大量に出せます(笑)。

    黒いマントを翻しながら、街を颯爽と歩く団長・・・
    それに色めきだつ街の住人たち・・・
    頭の中には色彩豊かな情景が浮かぶのに、
    なぜかセピア色の異国の映画を観ているような懐かしさに駆られます。

    ジプシーのごとく、街から街へと移り、ひとところに定住しない自由人。
    次にいつ巡り会えるのか、もう一生会えないのかもわからない美しい人々。
    それが、こんなに秘密めいて妖しいなんて・・・たまらないですよ~(≧▼≦)

    次々に個性的な登場人物が増えて、益々目が離せないです。
    こちらこそ、いつも素敵な小説をありがとうございます!
    正座どころか土下座してでも読みたい作品です(笑)。

    Katieさんも、日々お忙しいと思いますが、
    ご無理なさらずマイペースで更新なさってくださいね。
    いつまででも気長にお待ちしておりますので~♪

    まだまだ温めていらっしゃるという新作も、コッソリ楽しみにしています❤
    あぁ~、読みたいものがいっぱいで困っちゃう~(笑)!




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