2013年9月13日金曜日

Le Cirque Paradiso vol.2 -暗闇の狼と少年-
























「———ポアソンまで、準備出来た?」






リョウクは、スパイスと調理された肉の良い香り、それに香ばしい湯気に満ちた炊場で、
忙しなく働いている女達に声をかけた。

一番大きな、舞台の広がるショーテントの裏側に群れをなす、キャラバンカーや
テントの狭間に位置している、即席の炊場。



「はいはい、ヴィヤンドまでバッチリですよ!中々に良いジビエが手に入ったからね。」

白いエプロンの女中然とした女が、銀の燭台の載った台車を押しながら、
片手で即席のレンガ窯の中を指差しウィンクをする。


「みんなの分はどう?」


小さく頷いてリョウクが再び尋ねると、キャラバンカーの中からちょうど、
真っ赤な色をした長い髪の少女が腕一杯にベーコンとマッシュルームを抱えて
慌てて躍り出て来た。


「ア、ンバーちょっと、鍋!蓋を閉めて!」
少女は腕の中の食料の重みでよたよたとバランスを崩しつつも、香辛料や野菜、
フルーツが沢山載った木台の横で、グツグツと中身が溢れ出しそうな大鍋へと
駆け寄っていく。


「ごめんごめんごめんっ!」
突然机の下から声がしたかと思うと、そこからぬっと、一見少年のような少女が
姿を表し急いで大鍋に蓋を被せた。

「ちょっとソーセージが……転がって行っちゃって、へへ」

木台に荷を載せ終わった赤い髪の少女は、「味はサイコー、準備は万事問題ない。」
リョウクに向かって自慢げに宣言する。


「クリスタルの力作」
と、アンバーが笑うと、赤い髪の少女、クリスタルは思い切りアンバーの
お尻をつねった。
「いでっ!」
「アンバーのせいでダメになるとこだった!」


じゃれ合う
2人を眺めながら、リョウクはゆっくりと大きく息を吐き、女中風の
———料理長の女に
「ご苦労様です」と微笑んだ。


「リョウクさんこそ、ご苦労様。団長さんのご機嫌どうだい?」


 「まあ、多分、ヒョクチェと一緒だから」

 
「そんならきっと最高だ!」
 陽気に笑う女に苦笑いを返すと、リョウクは炊場を後にする。

 食事の監督は リョウクの大事な仕事だ。



 そして——————

夕食の前に、リョウクにはまだいくつかの仕事が残っている。

 紫色のふわふわの短い髪を指で梳きながら、テント群を奥へ奥へと進んで行った。

 
暫くして、赤い、一際目立つテントの前に立つと、リョウクは「兄さん」と
呼びかかける。


「入るよ!」

灯りの無い薄暗いテントの隅には、大小のカラフルな輪っかや燃料が置いてある。

そしてそれらの中央には、真紅の布に覆われた大きな鉄の檻。

ショーに出る他の獣達が集められているわけでもなく、そこに居るのは獰猛そうに
低く呻き続ける———ただ一匹の大狼だった。


リョウクは壁の蝋燭に一つだけ火を灯すと、そっと、狼を刺激しないように檻に
近付き寄り添う。


「ごめんね、遅くなっちゃった。僕の手が中々空かなくて。」



狼は、檻の中で小さく唸りながらうろうろと動き回る。

檻に掛けられている、金の房の縁取りが施された真紅のビロード布をするりと
落とし、リョウクは深く息を吸い、吐き出した。

グラスハープのような、軽やかな声と共に。

何処の国のメロディか分からないような……長い旅の間に覚えたであろう、優しくて
懐かしい。

どこか物哀しいメロディを。



リョウクは冷たい檻を抱きしめるように覆いしなだれて、
その中の存在を撫でるように、歌った。

すると徐々に狼の低く恐ろしげな声は、リョウクの歌声に混ざり
……いつの間にか、唸りから囁きのような声に変化していた。


リョウクは微笑んで、歌いながら檻の鍵をあける。

檻の中の囁き声は徐々に途切れ、少しだけ苦しそうな喘ぎになる。


そして


獣のものだか、人間のものだか判然としない低い咆哮が聞こえ、ふ、と蝋燭の火が
消えた。

しかし火が消え切る前の一瞬、檻は青白く光るような手が素早く突き出されていた。

その腕はリョウクの緩く弛んだ白いブラウスごと細い手首を鷲掴み、檻の中に引き込む。



「あ



「リョウガ……



————闇と静けさが、暗い檻を包み込んだ。






Le Cirque Paradiso vol.2 -暗闇の狼と少年-




 















「————誰だ」




ドンへは震え上がった体を両手で掻き抱くと、そばにあった大きなキャビネットの
影に身を寄せた。

咄嗟にそばにあった布を頭から被り、布の隙間から様子を伺う。


豪奢で刺繍のたっぷり施された天幕がふわりと持ち上げられる。

そして、背の高い、上半身をさらけ出したままの美しい男がドンへのいる空間へ
ゆったりと現れた。



ドンヘが身を小さくしてそれを眺めていると、男は微かに笑い「——誰もいない」
と言った。


天幕の中から、鼻にかかったような気だるい声が「じゃあ戻れよ」と男を呼ぶ。


「人がいると思ったのになあ。」


男は一瞬考えるように顎を撫でると、そばのスツールにあるパイプ煙草を手に取る。
形状でパイプだろうと思ったが、なんとなくエキゾチックな、見た事の無い形をしていた。
煙草の葉をパイプの先端に詰め、近くの蝋燭から火を借りると、男はふうっと
煙草をふかす。
その姿はまるで絵画のように綺麗で、ドンへは目が離せない。

艶やかに撫で付けられていた名残はあるけれど、くしゃりと乱れた少し灰緑がかった
黒い髪。
浅くブロンズ色に灼けた、ダビデ像のような神がかった肉体。
その体に、黒い革製の足首までタイトなパンツだけを身に着け、ベルトは弛んでいる。
それまでその空間で行われていた行為を想起するには充分の様相で、ドンへは一人、
全身に汗をかいた。


「何してんの?」


また、中から声が聞こえる。


「早く」


焦れたように、少しの甘ったるさを感じさせる声色。
男はその声を聞き、満足げに微笑んでいた。


「ヒョクチェ、こっちにおいで。」


「やだ、めんどくさい。」


男は更に微笑みを広げ、ドンへのすぐ脇にあったシルクハットを掴み上げて
全身鏡に向かい、綺麗な角度でそれを被る。
全身鏡はちょうどドンへの正面にあり、なんだか鏡越しに存在を見透かされている
ような気がして心臓が止まりそうになる。


「聞き分けが悪いな、ヒョクチェ。鞭が欲しいのか?」


「なんだよ!」


奥から、短い叫びのように声が響くと、再び天幕が持ち上がりもう一人が出てくる
気配がした。


ドンへはギュッと目を瞑る。


きっとこちらが恐ろしい影のヤツだ!背の高い男は普通の人間だった!
だからこちらが、悪魔か何かなんだ!


「せっかく良い所だったのに!!シウォン、ちょ———」


足音だけがドンへのちょうど前辺りまで辿り着くと、捲し立てられていた声がぴたりと
止まる。


「……——ん、っうっ、ぐ」


なんだか苦しそうな声が聞こえて、ドンへは反射的に瞑っていた目を開ける。

するとそこには、ピンク色の後頭部の髪を思い切り捕まれ、唇を奪われている
獣の姿があった。




先程の男は、力強い腕で獣の全ての動きを封じ、獣の美しい唇に煙管の煙を
吹き込んでいる。

煙の苦しさと、口付けの荒さに体を震わせている———獣は、人の姿をしていた。

血管が透けるほどの上気した真っ白な体に、気だるい熱さが汗を滲ませて。
抵抗しようともがく四肢は、美しく筋肉を張りつめさせ、でもどこかブロンズ色の
肌の男に縋るようで。

視線の全てを集めてしまうような、極彩色のピンク色の髪。
その両側には、豹の模様の耳が顔を出していた。
ピク、ピクと獣が降参したときのように半ば伏せられ、震えている。
圧倒的な体格差で、男の太腿に膝を割られ、獣はそこに体重を預けるような形に
なっていた。

ピンと逆立った同じく豹の模様をした尾は、唇を乱暴に吸われる度に
ゆらりと淫媚に揺らされる。


「…———っ!」


苦しそうにもがくも、その度に膝で緩く体を刺激され、脱力する。
何度かそんな拮抗を繰り返した後、豹の男が渾身の力を込めて、ブロンズの男を
押し戻した。


「ッ何考えてんだよ!」


口の端から零れる唾液を手の甲で拭いながら、頬を染めて肩で息をする。


「お前がすぐに言う事を聞かないからだ。それに————」


シウォンと呼ばれたその男が、大きく笑った。


「ちょっとからかったんだよ。」


「は!?何で俺をから……」


言葉が終わらないうちに、男が大股にこちらへと歩いて来る。
まずい、という言葉が脳内に浮かび切る前に、ドンヘを覆っていた布を取り払われ、
まるでマジックショーよろしく、ドンへは豹の男の前にその姿を表す。


「こちらの、お客さんをね。」


「あ……」


「……なんだ、こいつ」


「あ、あの」


震える声で、ドンへは勇気を振り絞る。


「た……」
喉に張り付いた言葉が、唇から中々出て来ない。


「なぁ、可愛らしいお客さんじゃないか?」


その間も、二人はドンヘを眺めながら会話を続ける。


「客……ってか……」
ピンク色の獣は、唖然とした顔でドンヘを見つめ降ろす。


「た…た、たた、たべないで!!!」
言えた!と、泣きたいくせに笑いまで込み上げて来たような訳の分からない
表情になり、二人を見上げる。


「はは、やっぱり可愛いなあ。ヒョクチェもそう思うだろ?」
シウォンが、満面の笑みでドンへの頭を撫でる。


「……何でこんなとこにいるんだ、お前」


「あ、あの、あの……」


「俺達を覗いてたのか?———ん?」


「違う!いや、のぞ、のぞいたけど、そんなつもりじゃなくて、」
じわり、と涙が出てくる。
そうじゃなくて、連れて来られて。
雰囲気に気圧されて、声が出ない


「うるさいな、なくな」
獣が顔を顰める。それに萎縮して、ドンへは更に涙を零した。


「何にせよ、サーカスの裏舞台に入り込むなんて悪い子だ。罰を与えなくちゃ。」
シウォンが笑う。


「サーカス……」
ドンへは、ああ、サーカスだったのか、と思う。

「はぁ。入り込んだ場所が悪かったな。でも、———罰は別にいいだろ。」
なんだか哀れんだような目で、獣がこちらを見る。

「なに、意地悪はしないさ。ちょっとここで働いてもらおう。」


「はぁ!?」
「えっ!?」


シウォンのいきなりの提案に、獣もドンヘも驚きを隠せず、素っ頓狂な声を上げた。


「仕方無いだろう?見られたんだから……」


「こんなやつに見られたからって何だよ!気でも狂ったのかよ」
二人は押し問答を始める。
しかしシウォンと呼ばれた男の方は、もう決意を変えないような調子で、微笑んでいた。


「いいんだよ、それで。」

———でも、家族が

「おい、こいつにだってきっと突然居なくなれば心配するやつらがいるだろ!」
自分を食べてしまうんじゃないかと思っていた獣が、ドンヘをかばっている。
恐ろしいのは、人間の方だった。


「大丈夫だ、誰も心配しやしないさ。」

「……っ」
家族や、仲間は、俺が、いなくなったら……?

「なあ、シウォンどうしちゃったんだ。なんでそんな———」

「世界はいつもそうなんだ。分かるだろ?ヒョクチェ。」

「……」

シウォンが、ドンへの頭を優しく撫でると、「不安そうだな、心配ない。
簡単な仕事をあげるよ。」と、囁く。


「あ、の、でも……」


「なあシウォン、こいつ」
ピンク色の髪がドンヘに近寄り、まじまじと顔を覗き込んで来る。
そして、形の良いツンとした鼻をひくつかせ、怪訝な顔をした。


「そうだな。」
シウォンはそう言って、「彼はここに居るべきだ」とヒョクチェと言う名前らしい
獣に言う。


「————知らないからな。」
そう言って、ヒョクチェ、は獣らしく小さく唸ると、立ち上がり踵を返して
テントを出て行った。
立ち去り際に香った、なんだかピリッと鼻孔をくすぐるような甘酸っぱい柑橘系の
香りに思考回路がぼーっとする。


「さあ、そこから出て、ついておいで。」


「ごめんなさい、でも俺帰らないと……」


「お前、一体どうやってここに来たんだ?」
シウォンは、ドンへの言葉を無視して穏やかに話し続ける。


「ミーミさんが……」


「ミーミだろうな。そうだろう。」


「はい……」
選択の余地はない、ドンへは、そう感じた。
みんなが心配するとか、仕事の自分が抜けた穴は、とか、色々な事を考えたけれど
テントの中に漂う怪しげな香炉から発せられる甘い香りと、むせかえる蝋燭の火の香り
そして突然自分の身にふりかかった
あまりの不思議な出来事に、ドンへは”シウォン”に従う事しかできなかった。







To be continued... 





※Special Thanks to 唄さん、しきさん、しゃなさん

作中のイラストは、唄さん () による作品です。
全ての権利は唄さんに帰属します。
唄さんのご協力に心より感謝いたします!

2 件のコメント:

  1. 更新有難うございます♪

    いやいやもうねぇ…
    魅惑の迷宮に迷い込んだ気分です。
    あの不思議の国のアリスの世界が、子供騙しと思えるほどに。

    うっかり危険な媚薬でも嗅がされてしまったかのような…
    ホント、今にも匂ってきそうで、むせ返るような甘い香りを彷彿させます。

    また途中差込まれているBGMの選曲も、最高で…(笑)。

    Katieさんご推奨のBGM、妖し過ぎてたまりません。
    どっからこんなもん、引っ張り出してくるんですか?
    作品と音楽との相乗効果が、倒錯世界と妄想を半端なく
    増幅させますよね。
    こんなの聴きながら読んでたら、ドンへじゃなくても
    思考回路停止状態で拉致されちゃうと思います(笑)。

    というか…この作品、完璧にドンへ目線で読んでます。
    ドンへが私の気持ちを代弁をしてくれているような…
    そんな奇妙な感覚を味わっています。

    読みながら変な汗とかホルモンとか、出ちゃいそうです(←変態)。

    有無を言わさないKINGシウォンの威圧感と脅威…
    隣にいるヒョクちゃんが余計に可愛く見えます❤

    半獣よりも恐ろしい人間…この設定ヤバいですよね~。
    シルク・ド・ソレイユが健全過ぎて、物足りなくなりそうですもん(笑)。

    今後も登場しそうな個性的なサーカス団のメンバーが楽しみです♪

    次に出てくるのは誰~?
    我が家の近くにも来てほしい(笑)。
    こんなすごいの来たら、いくらでもタダ働きしちゃう!
    というよりも…KINGの鶴の一声で、
    一生奴隷働きする契約書にサインさせられそう(汗)。
    にこにこ笑いながら、訳のわかんない無理難題とか、
    すっごく怖いことをサラッと平気で言われそう(笑)。


    イラストもキュートで素敵ですよね。
    まさに作品のイメージどおりで、ドキドキしちゃいました。

    私は相変わらずのウネ信者なんですが…
    Katieさんの世界観と作品は、大好物です❤

    Happy Together も近々更新予定とのこと、
    それはそれはたいそう嬉しいです(*^^*)
    こちらの更新も併せて、首を長~くしてお待ちしています。

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    1. >adelaide様

      うへへ、3話UPしました、希望的観測ですが、
      ここからピッチアップしてわーっと書いて行けたら!!と思っています。
      なにせ3話目がどうも自己満足というか書いてて楽しくなりすぎちゃって
      世界観に寄りまくっちゃったものですから…
      いけませんね、客観の目を常に保たないと…
      すぐに横道に逸れそうになります。笑

      でもadelaide様ってそれすら楽しんでくれている感があって本当に書き甲斐が!
      有り難うございますっス!
      正座してコメント返してます!
      いつも本当に細かく見て頂いててなんか感無量な気持ちで。

      BGM好きですか!?ほんとですか!?
      ううう…私の脳内にはこれらが流れながら書いてるので…
      聞きながら読んで頂けるのなんて恐れ多いのですが本当に幸せです…
      作者冥利に尽きます…
      五感で没入して行く感覚を持ってもらえたら良いなあとぼんやり
      思いながら音楽貼付けていたので…はぁ…正座…。

      実際私もドンへ目線なので、完全に私の読んで欲しい感じで読んで頂けてます!
      ひゃっほー!ドンへになりたい…と思いながらカタカタタイピングしてます。
      私も激しいスライディングと共に「たのもー!!」って拉致られる予定ですね(真顔)

      大丈夫です、私なんて変な汁がい四六時中出ていますから。
      ウォンヒョク画像見ているときなんか特に。
      顔面から特に。

      シルク・ド・ソレイユがそもそも私大好きで、そこと今回のSS5のパフォーマンス
      がなんとなく被ってしまい書き始めたんです〜うふふ。
      Zumanityっていう公演があるんですが、べガスでしか行われていなくて
      見に行けないのですけど…DVDで見た感じのZumanity(Zoo+Humanityで、動物園の Zoo と
      人間らしさを意味する Humanity を掛け合わせた造語らしいです)をイメージしています。
      セクシーで危険で一流で美しくて倒錯して陶酔みたいなピンク色の世界…。
      なんと素敵なのでしょう…涙。

      そんなサーカスを、少しずらした時代設定で楽しんで頂けるよう
      とにかく筆力最大まで出力して頑張って行きます〜////

      イラスト、素敵ですよね!!
      Twitterの方で仲良くして頂いている絵師様の唄さんがサーカスのイメージで描いて
      下さったので、晴れてコラボという形でお披露目です。
      まだ彼女のイラストで書こうと思っているとってもR18なお話がありますので
      ちょっと待ってて下さいね…?ふふふ…

      adekaideさん、ほんとうにいつもコメント嬉しいです。
      有り難うございますっ!!(≧∀≦)
      I love you〜!

      削除

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