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2013年2月19日火曜日

Happy Together vol.29











Happy Together vol.29

♦27と同じ要領で、記事内のLINK先を是非ご覧になって、音楽と一緒にどうぞ!
































————ステージに、一人、立つ。



カルメンの演舞を終えて、肩で息をついて。




ライトが、肌にピリと熱く。
眩しくて、慣れない。




————でも、好きだ。




ここが俺の場所だと、思う。




貰った熱情の全てをこの身体に覚えさせたよ。




お前はもう、俺の一部だ。

俺は、変化したと思う。

シウォンと融合して行くみたいに、気持ち良くて。

踊る快感に飲み込まれそうで。



———気持ち良過ぎて、泣きそうになった。



ライトの光に包まれて、お前の愛を体に宿して踊った。


お前のホセを踊りながら、こんな風に愛した人になら殺されても良いと思えた。


その瞬間に俺は、殺されるホセであって、カルメンで。


カルメンは心変わりしたわけじゃなくて
本当の愛を見たんだよ。


だからその愛を自分の好きなようにしたかった。


消える前に握りつぶしたかった。
全てを自分に取り込む為に、想いも、時間も、命も。



今ならわかる。

———完全な融合と、愛。




狂ってるのかな?

でも俺は、お前のClarityなんだ。







音楽が、始まる。












昨日の間に通知が来ていた。

審査の演目が追加、音源を持ってくる事、練習は無用、即興ダンス。




昨日遅くまでシウォンと一緒に考えた。



シウォンが勧めてくれたこの曲を、俺は踊る。



「この曲は、君だ。」



そう言って、聞かされた音源。


踊れる。


全身が喜んだ。


シウォンと出逢わなければ、一生理解して踊る事なんて出来なかっただろう。


———ああ。






—————音楽が始まった。




ヒョクチェは、ステージの中心から少しだけ退いて立った。







♪High dive into frozen waves where the past comes back to life
(凍てつく波間に飛び込む  思い出したくない過去が俺を苦しめる)


頭を大きく振ると身体からジャケットを剥ぎ取り、海に投げ捨てる


Fight fear for the selfish pain and it's worth it every time 
(自分だけ傷つきたくない そう恐れる気持ちを振り切れたら その苦しみにも意味はある)


そして、体を抱きしめて凍てついた床にヒョクチェは膝をついた

祈る様に両腕を突き上げてスポットライトに手を広げて
その光の粒子を胸元へと引き摺り下ろす

膝をついた場所から氷にどんどん皹が入って行く


Hold still right before we crash cause we both know how this ends 
(クラッシュの瞬間 じっとして固く目を閉じる だって俺たちはふたりとも
この先がどうなるのか知っているから)


静止、静寂が

俺の内側で

クラッシュ、する


Our clock ticks till it breaks your glass and I drown in you again 
(俺たちの時は刻まれていく お前を守るガラスが壊れるまで 
そして俺はまたお前に溺れ沈んでいく)


胸が、天から何かに吊り上げられるように時の打刻に合わせて
どんどん持ち上がっていく


吊り上げられる人形のように、少しずつ立ち上がる


———そして、俺を囲んでいたガラスのケースは割れる


Cause you are the piece of me 
(お前は俺の一部なんだ)
I wish I didn't need 
(お前が必要じゃなかったらどんなによかったか)
Chasing relentlessly Still fight and I don't know why 
(無我夢中で追いかけて 争いまでして 自分でもどうしてかわからない)


———粉々に!

弾かれたように、人形はガラスを割って飛び出す

手が、足が勝手に動く

聞こえるかよ、シウォナ

見えるかよ

この腕はお前のだ、こうやって俺の首から、頭から、頬までを触れずに
肌の表面を、滑って行く

もう、俺はお前の一部なんだ


If our love is tragedy
(俺たちの愛が悲劇だというなら)
why are you my remedy 
(どうしてお前は俺の傷を癒せるんだ)
If our love's insanity
(俺たちの愛が狂ってるというなら)
why are you my clarity 
(どうしてお前はそんなに澄み切って美しいんだ)


こんな風に、身体が勝手にスナップして

腰が跳ねる

胸が跳ねる

足は床を滑るみたいにお前に引き寄せられて

俺の手はお前をこんな風に手招きしてる

お前が俺の悲しみを癒すみたいに、俺を綺麗だって言うように



————俺も、同じように想ってる。



walk on through a red parade and refuse to make amends 
(頑なな世間の人混みを通り抜ける 悔い改めたりなどしない)


シャツのボタンを引き千切って、ヒョクチェは観客の前に心を晒す


It cuts deep through our ground and makes us forget all common sense 
(この思いは俺たちのいるこの場所を深く切り裂いて他人が押し付ける常識を忘れさせる)


シウォンの手が心臓の所を、こうやって割り開いて

その愛で、新しい世界を俺に与えてくれる


Don't speak as I try to leave cause we both know what we'll choose 
(俺が離れようとしても声を立てないで 俺たちがこれからどんな道を選ぶかはわかってるだろ?)


声にならない声でヒョクチェは叫ぶ

腕で空気を切って、足はどこまでも遠くに駆け抜けて行く

ステップを踏んで行ける

感じるだろ?


If you pull, then I'll push too deep and I'll fall right back to you 
(お前が引くなら 俺はさらに押すそして迷わずにお前のもとに落ちていく)


ほら、こんなに激しく腕も脚も躰ごとお前の元に落ちて行く

顔の前にそっと翳した人差し指は、約束の証


Cause you are the piece of me 
(お前は俺の一部なんだ)
I wish I didn't need 
(お前が必要じゃなかったらどんなによかったか)
Chasing relentlessly Still fight and I don't know why 
(無我夢中で追いかけて 争いまでして 自分でもどうしてかわからない)


ガクガクと、何度も足元から崩れて行くんだ

でも、ほら、こうやって俺の手はお前の手を掴む

この手が掴むものがお前じゃなかったら

きっとこんなに苦しい想いをしなくて良かった

きっと平穏だった

でも掴んでしまった、知ってしまった!


If our love is tragedy
(俺たちの愛が悲劇だというなら)
why are you my remedy 
(どうしてお前は俺の傷を癒せるんだ)


自分の心を守るよりもっと大事なもの見つけた

これが悲劇でも良い

何度でもこうやってお前をたぐり寄せるから

…傷ついた時はまた癒してくれよ


If our love's insanity
(俺たちの愛が狂ってるというなら)
why are you my clarity 
(どうしてお前はそんなに澄み切って美しいんだ)


この頼りない身体を

自分の腕で抱きしめる

でも今はそれに重なっているお前の手を感じてる。



———見てるか、シウォン


この手は、今お前に向かって伸びてるんだよ。


何度でも、何度でも


重なってるだろ、お前と俺の手の平が。



なあ、もうずっと、重なってたんだろ



これまでも、これからも————








そういう、運命だったんだ――――俺達。
















———気が付いたら、音楽が終わっていた。




客席を見ると皆が立ち上がっていて、一際背の高いシウォンを自然と見つける。


それから、ドンへ。




心臓が”ドクン”と大きく脈打つ。


———俺の気持ち、これが今は全てなんだ。


もう、謝らない。

ただ、ありがとう。


来てくれて、最後まで今の俺の姿を見届けてくれて。






聴覚が戻って来て、耳が割れる程の拍手がヒョクチェの脳に届いた。


審査員席も、皆立ち上がって拍手をしていた。


立ち尽くすヒョクチェに、タオルが渡される。


ああ、汗でびしゃびしゃだし、なんだ———



俺、泣いてたんだな。



我に返って初めて気付く。



それから、シウォンがステージの下まで歩いて来ているのが見えた。



係員が止めるのも聞かずに、真っすぐに。

ゆっくりとステージの下へと歩いて来た。



そして、腕を広げて、今ヒョクチェを待っている。



バックステージに捌けて下さい、と言う女性が視界に入る。



俺は、一つ女性にすみませんとお辞儀をした。



————もう、何も考えなかった。



ステージに手をついて、両足でシウォンに飛びつく。

支えてくれる両腕がそこにある。

こうやって、何の心配もせずに、全部預けられるんだ。



————たまらないだろ。


全部、お前は俺の全てを引きずり出した。



ヒョクチェは、シウォンの首に両腕を回してしがみつく。



シウォンが嬉そうに、頭を撫でてヒョクチェの瞳を覗き込んだ。


「You are my clarity」


綺麗な英語で、そう言った。


「ヒョクチェ、皆が待ってる。」


笑って、客席の方に歩き出す。


会場中の視線を集めたまま。


何も気にしない、王者のように、俺のライオンはどこまでも。


ヒョクチェは思い切りシウォンの首を引き寄せた。




「もう言わないからな、しっかり聞けよ。」




シウォンの耳元にヒョクチェは口を寄せる。






「————愛してる」






心臓が、止まりそう。





ヒョクチェはシウォンの肩に思い切り頭を押し付けて顔を隠す。




シウォンの歩みが止まり会場が暗転する。
次の準備に入るのだろう。



そこは、俺たちだけの闇。



確かにその時、その世界には二人しか居なくて。



シウォンの肩が緊張して強張っている。



そして、震えた声で、呟いた。


「———本当に?」



ああ、もう、お前にはそういうの似合わないから堂々としてろよな。



「…ああ」


「俺、お前が好きだよ。愛してる…」



シウォンがヒョクチェを強く、強く、掻き抱いた。



「…っ、あ、りがとう。ヒョクチェ…ありがとう」



まるで、時を止めようとしているみたいな力強さで。



俺は、そっと床に足をついてシウォンの腕をほどく。



「どこにも行かないから、大丈夫。」



そう言って、静かに涙を流すシウォンの手を握って歩いた。




————今は、俺が導いてやる。



席で立ったままの皆に「出よう」と合図をすると
ヒョクチェはシウォンの手を引いてホールの扉を開ける。




白昼の、真っ白な光が衝撃的な強さで俺達を貫いた。



新しい世界に足を踏み出すみたいに、一歩、外へ出る。



連れていくから。



お前も、皆。



一緒だ、ずっと。



何も追いつけないような速度で、俺は。








To be continued...



2013年2月18日月曜日

Happy Together vol.28









Happy Together vol.28













眩しい。


曇天、が、俺の曇天が。


目の前の眩しい光景に、イェソンはつい息を呑んで目を眇める。




———ヒョクチェが、初めて見る男を連れて店に入って来た。

いつも通り、店を閉めてリョウクの店に居座っていたイェソンは、隅のテーブルから

席に着いた二人をまじまじと眺めていた。



———なんだこいつら。



強烈な眩しさを伴ってそこに座っている二人から目が離せない。

初めて見たって事は、長い付き合いではない筈だ。


先に店に足を踏み入れたとても長身の…ラフな格好だけれど異常に品が漂う
シウォンと名乗った、その男は。

美しく破顔して笑うと、初めましてと言い強い握手で挨拶をした。

隣りに立つヒョクチェは、なんだか嬉しそうに微笑んでいた。


奥から出て来たリョウクにも簡単にヒョクチェから紹介がされて、ぶんぶんと
振り回すような握手をリョウクにもぶつけると幸せそうにヒョクチェを見ていた。


リョウクはぽかんと口を開け、シウォンを見ていて、ヒョクチェは全く
俺達のそんな様子にも気付かずに明日のオーディションは公開だから良かったら
見に来てと言って席に着く。


分かるだろう、これは。


チラリ、とイェソンは奥を振り返ってリョウクを見やる。


リョウクも二人を見ていたのか、イェソンと目が合うとそそくさと料理に
戻った。


…だよな。


何が起きたのかは分からないけれど、猛烈な愛情のオーラに気圧された。


そういう事だろう。


どんな関係性に落ち着いているのかは分からないけれど、これは。


ちらほらと、二人の席からドンへ、という名前が聞こえては声のトーンが
下がったり上がったりしていた。


ヒョクチェは黙り、神妙な顔をしている。


シウォンは優しく微笑んで、ヒョクチェの頬をそっと撫でた。

その手をヒョクチェはバッと振り払うと、目を白黒させてこちらを確認する。


凝視していたイェソンははっと目を逸らし、リョウクにビール!と頼んだ。


リョウクはうわずった声ではーいと返事をするとすぐにビールを持って出て来た。


———見てたか?


リョウクの目を見て、目線でそう確認する。

リョウクは、小さく頷くとイェソンの肩に手を置いた。

もう片方の手でシーッという合図をすると、首を振って更にジェスチャーをした。

”口出し無用”

そういう事だろう。


分かってるさ。


————これは、並の恋をしている人間には毒だ。


触らぬ神に祟りなし、か。


これじゃあドンへが気の毒だ、何気なくイェソンはそう思う。


俺だって、とイェソンはリョウクの消えた店の奥に一瞬だけ視線を送り目を瞑る。


突然、自分の価値観を蹴散らかされたように感じた。

それ程に圧倒的で。

黙って人を愛する事が、静かに気持ちを燻らせている事が余りに馬鹿らしく感じる。



俺の曇天のように。

静かで穏やかな、世界は…。



まあ、俺には俺のやり方がある。

イェソンはテーブルに肘を載せて頬杖をつくと、一気にビールを飲み干した。


————見守ってやるか。


少し、熱くなった脳味噌で、もう一度二人を眺める。


ヒョクチェが、何やら沢山の紙袋の中を引っ掻き回しながら嬉そうに
笑っていた。



後で、ジョンス兄さん達のとこにも行くんだろうか。

こりゃあ、ひと騒ぎするだろうな、あの人達。

そう思いながら、イェソンはふっと、小さく笑う。


せいぜい冷やかされろ。


くくくっと一人で笑いながら、イェソンはリョウクの作ってくれた特製卵蒸しに
取りかかった。












=================================================










ドンへは、激しく息をつきながら、会場の重い扉を開いた。


入ると、シッと係員の男性から嗜められる。




暗いステージにパッと灯りがつき、そこに立つ一人の男が照らし出された。




—————ヒョクチェ




姿を見ただけで、ドンへの目からは涙が零れそうになる。



————ああ。


ヒョクチェ。


客席から、こちらを見て手招きをしている男に、ドンへは気付く。


「ヒチョルヒョン」


はやく!と口パクで手招きをされてドンへは腰を屈めて客席に走り込む。


審査員が何かをぺらぺらと早口でヒョクチェに伝え、ヒョクチェは
無言で頷いていた。


いくつかの振りを言われるままにやってみせながら、審査員の手が机の紙の上を
走っているのを真剣な目で見ている。



ドンへは席の周りをざっと眺めると、見慣れた顔が並んでいた。


俺の右側からイェソンヒョン、リョウク、その隣り、列の端にシウォン。


「おそいよ〜ドンへ!」
リョウクがいつもの調子で俺を嗜める。

イェソンヒョンは腕を組んだままこちらを見やると、早く座れ、と小さく笑った。

シウォンは、そんなやり取りを見て微笑むと、俺に頭を下げる。
来てくれて有り難う、と言うように。


左側にヒチョルヒョン、ジョンスヒョン、ヨンウニヒョン。

「お前は遅刻すると思ったよ。」
ヒチョルヒョンが、俺の背中を叩きながら笑う。

「ちょっと…頼むよ、静かに話しなよヒチョラ〜」
こそこそと、ジョンスヒョンがヒチョルを小突いた。

ヨンウニヒョンは笑いを堪えるように口角を少しあげて、笑いかけて来る。

その斜め後ろに、ドンヒヒョン。

真っすぐにステージを見て、目を逸らさない。

そして、その隣りに…


————ソンミン。


目が合うと、変わらずふわり、と笑って小さく手を振って来た。


ああ。


胸が、温かくなる。


なんだろう。

ドンへの胸に何かがどっと込み上げて来た。

辛かったのに、皆の顔を見ると嬉しくて泣けて来る。



「おいっ何既に涙ぐんでんだよ!さすがバカだなお前!!」

小さい声でひそひそとヒチョルヒョンが耳元で話しかけて来た。

「ひどい…」

笑って返すけれど、やっぱり涙がこぼれて、ヒチョルが乱暴にそれを拭い

頭をガシガシと撫でてくれる。

「見とけ、ちゃんと。あいつ…凄いぞ。————成長してんな。」


やっぱり、ちょっと見逃したかと、一気に悲しい気持ちに支配される。


行くか、行かないか迷っているうちに時間だけが酷く早く過ぎていて。


遅れてしまった。


「ほら、ちゃんと見ろ」


ヒチョルが前を指差す。

その時目に入ったトゥギヒョンや、他の皆の顔が。

優しく俺を見ていた。


————ステージを見る。


音楽が、始まった。


カルメンから、ドン・ホセ。


…一緒に、練習を見て居た。

穏やかだった頃の、思い出が胸を刺す。




ダンスが始まる。

ヒョクチェの目に火が灯った。




—————成長、している。




ヒチョルの言葉が反芻される。

が、違う。


これは。

”変化”だ。




ヒョクチェが、その自身だけの力で育った訳じゃない。


以前の、静寂と柔軟さが持ち味だったヒョクチェのダンスは、もう無い。
歯止めが利かない程の、感情がそこに溢れていた。


————みんな、感じている。


徐々に圧倒されて始めている。


そしてそれぞれが、そっとシウォンを盗み見るようにチラリと眺めた。
この男が、変えたのか?と。





それ程に、これまでのヒョクチェとは全く別の姿が…ステージの上に、あった。


それは悔しさなんて、吹っ飛ぶくらいの、衝撃だった。









To be continued...






2013年2月16日土曜日

Happy Together vol.27









Happy Together vol.27
















燕が一羽、ひゅう、と空を旋回した。


見事に雲一つない、美しく水色の空。


シウォンは適当にセットした髪を、思い立ったようにぐしゃぐしゃと掻き回した。
前髪を下ろして、頭を振る。


今日はただのチェ・シウォン。

肩書きを感じさせない自分で居たい。
在りのまま、ただヒョクチェに恋をしているだけの男だ。


それが現在の俺の全て———。




先程目の前のアパートから、小柄な、可愛らしい男性が出て行った。


憂いのある、でもなんだか晴天を瞳に映したような、そんな顔をしていた。

———シウォンはドンへを待っている。


この家に居ると情報を得て、ドンへを捕まえに来た。



何をしているんだろうな、と静かに自嘲に駆られる。
自分の恋敵をご丁寧に、ヒロインの元に招待しようとしているなんて。



だが、決めた事だ。



偽善者だと、人は思うだろうか。

でも俺は、ヒョクチェが笑うのなら、偽善者なんて呼び名だって誇らしい。

…なんと思われたっていい。



所詮、誰も鼻にもかけないような、前途も何も無い恋なんだ。



何も無い。


受け入れられる確信すら、祝福されるような未来も

———思い出に出来る過去も無い。


何も無い。


ただ、愛してる。


そう、ただ、愛してる。



心臓を鷲掴みにされたあの時から。
空から降ってきた天使が目を見開いて、その茶色い瞳が
真っ直ぐに俺を見つめた時から。


光が満ちた。


胸を締め付ける、鼻の奥をくすぐる思いにまた空を仰ぎ見ると

視線の途中のアパートのドアが開くのが目に入る。

空から視線を戻しそこを注視すると、黒いジャケット、黒いデニムの男が
眩しさに手を目の上にかざしながらゆっくりと出て来た。



———ドンへ?



ヒョクチェとの過去と現在から、俺が欲しくてたまらない場所を…
捨てようとしている男。



階段の方に暫く姿が消え、そしてアパートの門からまたゆらりと姿を現す。



———間違いない。


ふう、と一度深呼吸をしてシウォンは祈る。


ぶれるな、と。


腰かけて居たベンチから立ち上がり、こちらの方へ歩いて来るドンへに
向かって真っすぐ近付く。



君を、捕まえるよ。



近付くにつれて、自分の進行方向からやってくる人物にさすがに気付く。

ドンへがシウォンを見つめた。


歩みが止まる。


踵を変えそうかと一瞬迷ったように見えた、が、彼はそこに踏みとどまった。


シウォンは、調子を変えずにゆっくりとドンへの目の前まで歩いて行く。


「…久しぶり、かな?」


シウォンは微笑む。

ドンへが眉をハの字にして何かの言葉を飲み込んだ。


恋敵なのに、守ってやりたくなるような…そんな雰囲気を醸し出すドンへに
シウォンは少し肩の力が抜ける。


ドンへは緊張からか唇を舐めると、目を伏せてもう一度口を開いた。


「…何か…用ですか」


特に乾燥なんてしていないのに、ドンへは全ての言葉が喉に張り付く様に感じる。


「出来れば、カフェか何処かで少しだけ、話がしたいんだ」


シウォンが、街の方を指差して遠慮がちに尋ねる。


「…分かった…」
短く、諦めたようにドンへが呟き、シウォンは目を伏せて微笑むと
街の方へ、どちらからともなく歩き出した。













=================================================












”ヒョクチェ!”



ガラスを叩く音と共に、名前を呼ばれる。


ハッと振り返ると、シウォンがガラスの向こうに立って微笑んでいた。


チカ、チカとシウォンの背景には向かいの店舗のLEDが光る。




ヒョクチェはスタジオから急いで駆け出して、鍵を開けに裏口へ廻る。

扉を開けた瞬間、シウォンが丁度扉の前に来ていた。

ヒョクチェは目の前に出現したシウォンに、ワッ!と小さく声を上げてしまう。



シウォンはなんだか大きな紙袋を沢山脇に抱えていて
何かのTVCMから出て来た理想の父親像みたいだった。


「ヒョクチェ」


嬉しそうな声のトーンで俺を呼ぶ。

また、映画俳優かなにかのような、完璧な笑みを顔中に広げて。


"——ああ''


目から始まり、足の指先まで小さな電流が走った。



—————感情。



ヒョクチェは白い歯をこぼして小さく微笑み返す。

シウォンは少し首を傾げると自分の頭を指さして、ヒョクチェの髪を見た。

「色、変えたの?」

は、とヒョクチェは言われて思いだす。
髪を切り、染めた。
オーディションのために金から黒へ。


「…そう、変?」
頭に手をやって、シウォンの目を見る。


何気なく聞いたが、本当は凄く気になった。
いつもの俺なら、似合うだろ?と言った筈で。

女々しいとつい心の中で舌打ちをする。


…出会った時からユニセックスな髪型だったのを思い切り男っぽくした、から。


少しの、不安。


些細な変化の色を見つけようと、見つめたシウォンの目は少し揺れて
その目尻には小さく皺が浮かび、それから、


「君はどんな姿も似合うな」


恥ずかしそうに、両の口角を思い切り上げてシウォンが言う。


「あ…」



————なんだこれ?



怖い。


くらい、嬉しい。


これが、そういう、事かよ。



———感情の、スペクトラム。


ヒョクチェは顔が徐々に熱くなり、首筋まで真っ赤になっていくのを感じた。


「っ…これは、」


シウォンはヒョクチェの赤面に気付くと、悪戯にウィンクする。


もってかれる!


口は動いても、心が喜びの中に鎮座して動かない。



(シウォンは取り敢えず、ヒョクチェに持って来た明日の為のプレゼントを
何処かに置こうと辺りを見回す)


ふ、とシウォンがヒョクチェに目を戻すと、口に手を当てていたヒョクチェが
シウォンを見た。



———その目が。



茶色く、太陽がなくとも透ける様なその茶色い目が。



スローモーションの様に一度瞬かれ、赤い唇が口が無音で動く。



「     。」



ヒョクチェがゆっくりとシウォンに向かって歩き出す。

唇だけが空気を噛む様に小さく動いて、シウォンの首にその白く長い腕を回した。




————其処に、在った。

たった一晩、会わなかっただけで、強烈に飢餓を覚える程恋しかったシウォンが。

目の前に、存在していた。



優しい、包み込むようなムスクの香りで体中がシウォンに満たされて行く。


緊張————する。



ヒョクチェは、シウォンの瞳を見上げる。

なんだか、もう、無理だな、と思った。

言葉が出なかった。



言葉の代わりに、自分の手がゆっくりとシウォンの頬を撫でる。


シウォンは、どうしたんだ?というような少し困った笑顔で
同じようにヒョクチェの頬に手を添わせた。



”————あいしてる。”



言葉が、こんなにも、重くて、激しいものだったなんて。

バサリと、シウォンの持つ紙袋達が音を立てて落ちた。



好きだ、この腕が。

好きだ、この胸が、腰が、首が、顎が、頬が、瞳が、


心が、好きだ————。


どくん、とヒョクチェの心臓が跳ねる。


一気に頭に血が上る。


光で頭が真っ白だ。


シウォンが腕をヒョクチェの背中に回して、背中を撫で下ろす。




「どうしたんだ、何で泣いてるんだ…。」



シウォンが優しく耳元で囁く。

声にならなかった言葉を、何度も何度も胸の中で繰り返す。

愛してるよ、愛してるからだよ。

でもこんなの重過ぎて、喉の奥から自力じゃ引き上げられないんだ。


「何かあった…?」


シウォンの全てを吸い込む。

優しく囁かれる言葉も、変わらず温かい、香りも。

愛も。



「ヒョクチェ、何を言いたいんだい…」


シウォンの手がまた頬を優しく撫でる。

手伝って、手伝ってくれよ。

俺の喉から引きずり出せよ。


「ヒョク…」


「————腹、減った」


ヒョクチェは思いっきり目を瞑って全てを呑み込むと、笑った。


「…ヒョ」


「明日の為にめちゃくちゃ感情入れて練習してて———
何かお前の顔見て気が抜けた。」


「…ほんとに?」


嘘は、すらすらと出てくるのに。

吐き出したいのに、呑み込む。


「飯、行こう?」

「ああ、いいよ。勿論!」

「行きたい店あるんだ。友達の店。」


離さないから。


伝えられるまで、離さないから、大丈夫。


「OK、行こう。」






———シウォンの車にそのまま荷物を積み、リョウクの店に向かった。

少しずつ。


長くかかるかも、すぐに叶うかも。


必ず、伝えるから。




———さあ、行こう。






To be continued...








2013年2月4日月曜日

Happy Together vol.26









Happy Together vol.26





















巨大な蟻の巣みたいな世界で、忙しく、行ったり来たりしている俺達。
深い、深い地面の底まで、愛情とか、思い出の欠片を運ぶんだ。
死んでしまったそういう物の一部をしょって、俺達の群れが地下へ潜って行く。
そして、何気ない顔をして、地面に戻って来て、また潜る。
自分と糧となる欠片を探して、地上をうろうろ、右往、左往。
どんな欠片だって、ちゃんと、自分や、自分の次の命の、養分になる。
そういう事を、無意識に皆、細胞が知っているから。

変わらず、変わらず。

————そういう世界。













===================================================













「でっかい蟻塚なんだよ。」


「そういう事なの!」


先日見たばかりの、自然番組の内容を反芻しただけの。

ただの番組の受け売りに、思った事を当てはめてみただけだったけれど

ドンへは少し、文学的な気持ちになって口元を緩ませる。

「センチメンタル」

俺にだってあるんだ。


———目の前に座る、イェソンとリョウクが、お互いの目を見合わせて
変な顔をしている。


「…なんだよ。」


イェソンが口を開こうとすると、リョウクがダメっと言うように手で遮る。


「馬鹿にしてる…」

「し、してないよ!ねえ、イェソンヒョン??」


焦ったようにリョウクが言葉を継ぐ。


「ただ、ちょっ…と、大丈夫かなって、ね?」

「お、おう。そうだな…」

「大丈夫だよ、。なんだよ、もう…」

「「……」」


また、二人して口を噤む。


…ヒョクに、こう思うんだって、言いたいな。
笑って、多分、お前も難しい事考えたんだなって褒めてくれる。

俺の唯一無二の、親友。
ヒョクチェ。

俺は、恋人も欲しいし、親友も欲しい。
どっちも俺のもになれば良いのにって、ぼんやりと思っていた。
土深くに、どちらも埋めたくなんて無い。

———今までは。

俺は欲張りだから。

……。


「ドンへ」

イェソンが思い切ったように口を開く。

「何、ヒョン」

「お前、ヒョクチェはどうした。」

「そ…」

それは、と説明しようとして言葉が出て来なかった。

「何か、あったのか。」

ごくり、とドンへは唾を飲み、下を向いてしまう。

「ちょっと、イェソンヒョン…」

「俺、ヒョクチェに好きって言った。」

「「え!!!!」」

二人は同じような声のトーンで驚き、顔を上げると、リョウクは口を抑え
イェソンは頭に両手をやっていた。


———時間が止まっている。


「そんなに意外?」

ちょっとおかしくなって、ドンへはへらっと笑う。

「いや、意外というか」

「それで、うまく行ったのか?」


ドンへは、少し楽しい気持ちになったのに風船がしぼむように気持ちが沈んで行く。


「———ううん…。」


「ヒョクチェ、好きな人が居るみたい———…。」


二人の時間が、また、止まってしまう。
なんと言ったらいいのか、分からないと言うような顔をして。

それでも、口にして、少しだけスッキリした。

一生、誰にも言えないと思っていたから。

「今、家に帰ってないんだ。ヒョクチェに見つかりたくなくて。」

「合わせる顔が、無くて———」

「それでお前、どこに…」

イェソンが言うのと同時に、店の扉が開いて、チリンチリンと鈴が鳴る。

「こんばんはー…ドンへ、居ますか?」

そう言って、ソンミンが顔を出す。

「あ、居た。」

そう言うと、ソンミンの顔に花が咲いたように笑みが広がった。

「ん、ソンミンの家。」

そういうとドンへは椅子から立ち上がり、ひらりと手を振る。

「あ、ご飯はいいの?」

リョウクが心配そうに声をかける。

「大丈夫、久々にゆっくり話せて良かった。気が楽になった」

そう言って、いつものようにドンへが笑う。

「ごめんね、ドンへがここに居るってメールくれた時にはもう夕飯の材料
買っちゃってて、それで——…」

「ああ、気にしないでソンミニヒョン、でもまた来てよね?」
リョウクが顔の前でぶんぶんと手を振ってフォローする。

イェソンは、まだ一点を見つめたまま固まっていた。

ソンミンとリョウクは、まるで主婦みたいに夕飯のレシピについて話していた。

ふと、イェソンに挨拶をしようと目を遣ると、固まって居たイェソンの目線が
自分に向けられるのと同時だった。

”こっちに来い”

口パクでそう言われ、話し込む二人を一瞬見て、イェソンの隣りへと歩いて行った。

耳元で、イェソンが言う。

「傷の舐め合いは、やめとけ」

ハッとして、イェソンの目を見る。

適当に言っているような、目では無かった。

厳しい目で、射抜くようにドンへを見ている。

「治る傷は、ほっておいても治る。治らないのなら、諦めるのも大事だ。」

「傷を勲章にするくらいの気持ちを…男なら持つんだぞ。」

そう言うと、イェソンは手をひらひらと振って行けよ、というように
もうそっぽを向く。

ドンへは、言葉も無く、気持ちが溢れてきそうで一人先に急ぎ足で店を出た。

その後を、急いでソンミンが追って来る。

「…どうしたの?何かあった?」

ドンへは、漆黒の、小さく星がキラキラ輝く空を眺めて、両手で顔を覆った。



同じようにずっと燻っているソンミンと居たら——

楽になれた。

まるで自分と居るみたいだと。
そう思った。


日付が、変わる。



「———なんだか、胸が痛い。」

ソンミンが、小さく呟く。



「誰か、何処かで泣いてるみたい。」



「———ソンミン」


「何?ドンへ」


ドンへは、小さくて温かい、ソンミンの手をそっと握った。


「今日、ご飯作るの、俺も手伝うよ」


「…うん。ありがと。」


手を握ったまま、もう片腕で俺より少し小さいソンミンを包み込み、抱きしめる。

ドンへの首元でソンミンがはふっと息を吐き、ふざけて苦しい、と言った。


「———それで、今夜で終わりにしよう。」


ソンミンのふわふわの髪にそっとドンへは口づける。


「ドンへ、大好きだよ。」

「…俺も。」

「ドンへの好きは、僕のと少し違う」

「違わない。」

「寂しく、なるね。」


暫く、二人はそうやって星を見て、抱き合っていた。


言葉にならない、このまま一生、騙し騙し一緒に居たなら

…きっと愛になる予感を、振り切って。



そうやって、家までの道を、お互いの手の平への安堵感に心を震わせながら
ゆっくりと歩いた。




日付が変わり、また少し、空の闇が深まって。


そして月の灯りは一層明るさを増し


————揺れた。






To be continued....






2013年2月3日日曜日

Happy Together vol.25




Happy Together vol.25







Happy Together vol.25

鍵付き裏小説となります。

パスワードを入力してお進み下さいませ。

奇しくも、キュヒョン聖誕祭に裏キュヒョクとなりました。
お楽しみ頂けたら幸いです。

仕事の都合で更新をお待たせしてしまっており、大変申し訳ございません。涙




2013年1月21日月曜日

Happy Together vol.24








Happy Together vol.24



















————「彼が僕の/俺の全てなんだ」









外から、車のクラクションの音が聞こえる。



———何時?



時計の針は、15:00を指していて、ドンへは勢いづいてベッドから飛び起きた。

ズキン、と頭が痛む。

ああ、昨日はめちゃくちゃお酒飲んだんだった。

ソンミンが大学から帰って来て、今日は外に食べに行こうと誘われて
少し遠くの、小洒落たレストランまで出かけた。



「気分転換」
と、言って笑うソンミンはどんどんワインを空けていて
俺も負けてられないとビールとカクテルを、普段飲まないほど、飲んだ。


その後は急いでタクシーに乗ってソンミンのアパートに戻り
我慢の緒が切れたかのように、性急なセックスをした。


酒を飲んで、色々思い出したのがいけなかった。
お互いに。


どちらが始めたのかは分からなかったけれど。
凄く好きだったんだと、触れたくない部分に自らナイフを入れてしまった。


酒で熱くなった身体と裏腹に、急速に冷えて行く頭の芯。



「———ドンへを好きになりたかった。」



ソンミンはそう言った。
リョウクの所で俺を見ているうちに、そう思ったのだと。

一生懸命ヒョクチェだけを好きな俺が凄く羨ましくて、そういう風に
愛されたいとずっと思っていたと。


「好きになってよ。」


俺はへらっと笑って、そう言った。
その可愛い唇に舌を捩じ込んでやれば、どこまでも俺の名前を呼んで
求めてくれるソンミン。

心はここに無くたって、微笑んで名前を呼んでくれる優しいソンミン。

花のように可憐に、俺を利用して誰かを忘れようとしてるソンミン。


まだ、俺から離れないで。

———放っておきたくないのか、放っておかれたくないのかは
俺には、分からないけど。



「…どうしよう。」
つい一人なのに声に出てしまう。

今日こそ、ちゃんと外に出て、家に帰って色々整理しなきゃと思っていたのに。

ドンへはベッドに腰掛けて、髪をがしがしと掻き回した。


大きなこの街で、俺達が止まっていても周りの時間は動いて行く。


実際、兄からは「大丈夫だよ、たまにはゆっくりして来い」
そう、気遣うようなメールが来ていた。
いつも兄さんは、俺の気持ちを計ってなんとなく気を遣ってくれている。

父が亡くなってからは、俺が好きな事も出来ないでといつも心配していた。

そりゃあ、選べた筈の未来は、選べなかったかもしれないけど。
でも終わったわけじゃなくて。
問題ははそこじゃなくて。

ただ、俺が居なくても大丈夫なんだなと、胸にスッと風が通るような感じがした。

ヒョクチェの事も、同じように思った。
俺達の関係は終わったわけじゃなくて。
ただ俺が逃げて来てしまっただけで。

ただ…。

ただ。



車が乾いた道路を、エンジンを轟かせて駆け抜けて行く音が聞こえる。
小さく、近所の人達の話し声も聞こえた。

ソンミンに借りている、少しサイズの小さめな白いTシャツを撫で回して
ドンへは皺を整える。

脱ぎ捨てたデニムをそこらから探して身に付けると、出かける準備をした。
家に帰って今までの整理をするには、気力が足りない。


でもこのまま腐っているのも、もううんざりで。


ソンミンは、今日は遅くまで戻らない。


久しぶりに、リョウクやイェソンの顔が見たくなった。





玄関を開けて、久しぶりに外を眺めたような気分になる。

明るいうちは、そうだな、寝てた。



————蟻塚、又は、深海。


どこか暗い場所から、這い出たような。


————その暗い場所で、自分は、自分を顧みる事が出来た?


ドンへは、そんな事を考えて、アパートから外へと一歩踏み出す。















”15:37
イ・ドンへと思われる人物がアパートから出る姿を確認。”


一通のメールが、シウォンの元に送られたのも、その時だった。







=========================================


















——23:00

チカ、と携帯の時間表示が一瞬光る。


ヒョクチェは、予定外の出来事に少し居心地が悪い気がした。



「ヒョクチェさん、時間大丈夫ですか…?」


ヒョクチェは、背後に先程とは違う光

———ネオンの安っぽい光を纏い隣りに座っている男に目を遣る。

ニヒルに笑いを浮かべた口元でこちらを見るキュヒョンは、本当に時間を
気にしてくれているようには見えなかった。


「…帰るって、さっき言ったけど…」


「やだなあ、本当に嫌なら…いつでも言って下さい。そんなに無理強いは
するつもりないですよ。」
キュヒョンはまた、ふっと不安にさせる笑みを浮かべる。


「や…別に、そこまで嫌じゃないけど、帰りが、ちょっと」

「まだ30分も立って無いじゃないですか?」

ヒョクチェは、キュヒョンの表情を伺った。

この男は、先程レッスンの帰り道に路地裏で出会ったばかりだ。

この男は、俺を知っているというけれど、俺はそう言われてみれば
知っているというか、見た事があるかもしれない。
…程度の物だった。


けど、何かの縁だと、そこらで軽く一杯やりませんか?と誘われて。

知ってる店があるからと言われ、のこのこついて来てしまったのだ。

俺を誘って何のメリットも無いだろうと思うと、不安感が少しずつ募る。

この街じゃ、悪い事考えてる奴らなんてゴロゴロ居るから。

でも、と。

ヒョクチェは自分の見た目を分析して、金を持ってるようにも見えなければ
貧乏そうな若者以外の何者にも見えず。

狙われる物は、なんにも無かった。

俺、金無いよ、というと、キュヒョンは笑って奢りますと言った。

断る理由も別に思いつかなくて、来てしまったのだけれど。

ヒョクチェは、もう一度伺うように上目遣いで尋ねた。


「なあ、なんか俺、居る意味ある…?」


キュヒョンは、この店に入ってから自分から全然喋らないのだった。

している事と言えば、俺をずっと見つめて来る。
穴があくかと思うほど。


なんだかどうしたら良いか分からずに、ヒョクチェはさっきの歌
知ってる、とか、バイトの帰りで、とか適当な事を話して場を繋いでいた。

それでも居心地は悪く、つい被った赤いニット帽から出た金髪を
指先で弄りながら出された飲み物をしきりに飲み続けていた。

勿論アルコールは飲めないので、甘いカクテル風のフルーツジュースを。


キュヒョンは、突然打って変わって、なんだか人なつこい笑みを
顔全体に浮かべた。


「すいません、なんか見蕩れちゃって。」

「は?」

「いや、白くて綺麗だなって思って。」

「はあ…そう…」
悪びれもせず人の外見の事を言及して来るキュヒョンに、ヒョクチェは少したじろぐ。

「…魅力的、ですね。」

「はあ!?」

「顔の作りが、とかそういうのじゃなくて雰囲気が。」

「ああ…そう…どうも…何かなんだろうそれ」

「好きな人の事、思い出してました。」

「似てるとか?」

「似てないですね。あなたよりもっと綺麗だ。」

「…ああそうですか!」
失礼なのかもうなんなのか分からなくて、ヒョクチェはため息をついて
ジュースを一気に飲み干す。

「俺、かえ」

「男なんです、その人」

「は」

「ついでに、振られたばかりなんです。」

「え…」

「どうしたら良いか分からない」
ガタン、とヒョクチェは立ちかけた椅子にもう一度腰を下ろす。

カウンター席なのに、誰も人がいない。

バーテンさえも、今は奥に引っ込んでしまっていて、奥のテーブル席に一人二人
人が居るようには見えた。


———キュヒョンの顔は、今は悲しそうに少し歪んでいる。

「分かったよ。聞くよ。話し相手が欲しかったんならそう言えば…」

「違う。」

「え?」

「あなたなら分かってくれるかと思って」

「何を…」
剣のような鋭い物言いで畳み掛けて来るキュヒョンに、ヒョクチェは
更に戸惑う。

何だ?

この男は一体

でも、考える暇を与えない速度でキュヒョンはヒョクチェの情報を更新して行く。

「ドンへさんの事が好きなんでしょう?」

「何?」

「付き合ってたんでしょう?」

「え、ちょっと待って」

「分かりますよ、あんなにいつも一緒に親密にしていて、バレないとでも…」

「違う」

「隠さなくたって、俺だって男が好きなんですよ」

「違うんだ俺はドンへじゃなくて、俺は、あ」

「…何です?」

「あ…」

ヒョクチェは、涙がポロリと自分の頬を伝うのを感じた。

「あ、ちょっと、ごめん、はっ馬鹿、俺」

「何なんですか!?泣いてるんですか?」

どうにか笑って誤摩化そうとするけれど、次から次へと涙がこぼれた。

「ごめ、なんか、ふはっ…」
止まらない涙はどうしようも無くて、両手で顔を覆って涙を隠す。

「すいませんでした。俺が悪いですね。謝ります…」

「違うんだ、えっと、俺は、ドンヘを好きなんじゃないんだ」

「分かりましたよ。」

ヒョクチェはニット帽をずるりと目の下まで下げて、ふちを握りしめると
カウンターに肘をつき、腰を落ち着けた。

「…っ。はぁ。ドンへを好きになりたいのに、駄目なんだ。」

「恋愛相談ですか。」

「お前もそのつもりだったんだろ、俺のも聞けよ」

「俺は違いますよ、本当の所、ただ貴方に色々言いたい事があっただけだ。」

「言いたい事?何。まあいいやあとで聞く。」

「貴方って…」
キュヒョンが、ため息をついてカウンターに肘をついた音が聞こえる。

「はあ、いいですよ。続けて。あ、マスター!ワイン、ボトルでお願いします」

「俺、飲まないからな。」

「飲むんですよ。飲め。」

「は?無理なもんは無理だよ。飲めないんだから。」
うっかり、ヒョクチェはまだ涙の溜まる目を出してキュヒョンを睨みつける。

キュヒョンははっと一瞥して笑うと、カウンターに向き直る。

しなびた年配の、バーテンの格好をしたマスターが
ドン、と音を立てて赤ワインのボトルと綺麗なグラスをキュヒョンの目の前に置いた。

そして、自分でついでと言うように顎でしゃくると、はいはい、と頷きながら
キュヒョンは手慣れた動きで綺麗にワインをサーブしてくれる。

キュヒョンの長い指は、ボトルにとても映えて、ああ、綺麗な男なんだなと
再認識した。

バーテンはまた奥の部屋へと引っ込んでしまう。

店内には遠目から聞こえる談笑と、静かなジャズミュージック。

「いや。」

ヒョクチェは目の前に置かれたワイングラスを見て、頭を横に振った。

「飲んで。」

「いやだ。」

「…本音が、聞きたいんですよ。色々。」

「素面でも言える、し、言おうとしてた。」

「そんなんじゃないんですよ。俺が聞きたいのは。あんたが話したいと
思う事じゃなくて、話したくない事も聞きたいんですよ。」

「なあ、お前、一体———…」

言いかけると同時にキュヒョンはグラスを口に運び、半分ほどを口に含むと
そのままヒョクチェのパーカーのフードを掴み引き寄せて。

ヒョクチェの唇に、ワインを注ぎ込んだ。


「あっ …う」


油断した隙に、その長い指で後頭部を支えられると首を倒され
どんどんワインを注ぎ込まれる。


「んっ ぁ…ぐっ…」

ゴポゴポと音を立て、飲み下すしか無い渋い液体をヒョクチェは飲み下す。

「はぁっ!!!」

キュヒョンが口を離した隙に、大きく息をついて抵抗しようとする。
けれどヒョクチェの身体を大きな目眩が襲って——

その間に、またキュヒョンが口に含んだワインをもう一度
ヒョクチェの唇に注ぎ込んだ。

「…ん…ぁ…」

先程の、飲む事を抵抗した際に息苦しかった事を身体が覚えていて
今度は少しだけ、簡単にその液体を流し込まれてしまう。

「ぁ…はぁ…ん」

そのまま、合わさった唇は離される事無く、咥内を長い舌で嬲られた。
優しく歯列をなぞられ、強く舌を吸われるとヒョクチェはつい反応して
舌を絡ませてしまう。

「ん…ん…あ、ちょ…ぁ」

きつく抑えられた首筋の力が少し緩められると、キュヒョンは唇を離し
笑った。

もう、柔らかな笑みで本性を隠す事は無く。

悪戯で、皮肉な笑みを満面にたたえて。

「あんたの唇、結構柔らかいね。」

「っは…お前…ほんと一体…」

「…今夜ゆっくり、その話をしませんか?」

くらりと、ヒョクチェの体中に電流が走ったように麻痺が訪れる。



————初めてまともに飲んだお酒の味は。



苦くて、どこか甘くて、混乱の香りに満ちていた。






To be continued....





※お待たせしました、キュヒョンの本領発揮!!
楽しいですね、キュヒョンを書くのは!
大変満足です。

ちなみにひょっ君の今日のfashionは、BIC4の赤いニット帽で眼鏡の
あのスタイルを思い描いて書きました^^

ちなみに、ヒョクチェさんの涙は…
他人から見て、そう見えるんだな、と。
俺はドンへに酷い事してたな、という涙と、もう一つ。意味が。
他愛も無いですけれど。

皆さん、続きお楽しみに。

そろそろ、裏かな…








2013年1月14日月曜日

Happy Together vol.23








Happy Together vol.23
















大学構内。
ソンミンの助教授室。

夕方のオレンジの空気が、大きめの窓から

優しく差し込む。






「キュヒョナ」


「——なに?」


「あのね、ここの…この日程なんだけど…」
ソンミンが手帳を広げ、講義のスケジュールを説明して来る。


「教授が————人手が———学生の中から……」
キュヒョンは、ソンミンの可愛くパクパクと動く唇をただ見つめた。

話なんかは頭に入って来ている筈も無い。

「ソンミナ」
そっと手帳に手を被せて動作を遮り、今度はソンミンの目を見つめてみる。

「…ちょっと、その呼び方駄目だよ。」

「ソンミニヒョン」

「何、キュヒョナ?」

「唇が、不思議ですね。」

「は!?どういう意味?何か変?」
嫌そうにソンミンは眉を顰めて、唇をその綺麗な指で触って確かめて居た。

「いや、別に変とかじゃないんだけど。なんか薄く、パクパク…ふわふわ?開いて」

「そりゃあ開くよ喋ってるんだもん。」
何なの、という目でキュヒョンを見て来る。

「いや、そんな開き方でその柔らかい声がそこから聞こえてくるのが不思議」

「何言ってんのキュヒョン…それより話聞いて、教授が手伝いの」

キュヒョンは突然、ゆったりと椅子から立ち上がるとテーブルの向かいに座る
ソンミンの隣りにかがみ込む。

「もっとよく、見せて。」

キュヒョンの影が、ソンミンに被さって。

ソンミンの小さく「あ、」

という声とともに、室内にまた静けさが戻った。



微睡むような、暖かさの中。

触れ合う唇の温度は、支えたソンミンの首筋の温度より、少し低い。

押し寄せる安堵と、優しい時間。

眠たくなるようなキスが、キュヒョンは割と好きだと、感じた。














=========================================

















夜、22:00。

今日はシウォンは練習を見に来なかった。



あの日から、シウォンは毎日のように差し入れを持って練習を見に来て、
終わると少し話して帰る、という習慣になっていた。

最初はおずおずと、窓の外からヒョクチェを眺めていたシウォン。

数回、中で見て居て良いんだと説明すると、何度目からか、自然と最初から
中でヒョクチェを見ているようになった。

スタジオの隅にラフに腰を下ろして。

じっと俺を注視している。


————ドンへがそこに居た時は、正直ドンへがヒョクチェ、それ良いね!とか
野次を飛ばしたり一緒に音楽にのって少し身体を動かしていたりしていたから
見られているという意識は薄かった。


でも、シウォンは俺の踊りを見てる。

少し怖じ気づいてしまいそうなくらい、真剣な眼差しで。

普通なら、居心地が悪いかもしれないくらいの眼差し。

例えば俺が腕を伸ばす動作をしたら、シウォンの視線が俺の肩から指先へと
走る。

電流のように、ピリとそこに気持ちが集中して行く。

腰を動かせば、その腰の描く空気の波をシウォンの視線が包み込む。

人の目を意識するって、こういう事だ。

審査員に見られているのとはまた違う。

審査員は俺を値踏みする。

シウォンは俺を知ろうと、視線で内面まで入り込んで来る。

一瞬一瞬の、表現したい感情の波を、その大きな手で掬うように
受け止められた。

これは、まるでタンゴ。

フロア一杯に埋め尽くされる二人だけの空気。

俺のまわりの空気にシウォンが乗り移ったように。

愛のダンスを踊る。

練習を重ねて行くうちに、いつの間にかそのダンスナンバー中でお互いの
気持ちが重なって行く。

シウォンが俺を愛するやり方で、俺は踊ろうとして。
その愛をリアルに受け取りながら練習をして行けば、心が動かない筈が無い。

憎からず、身体が今すぐシウォンに抱かれたいと叫んでいるような
そんな気がした。


最近は、オーナーのシンドンにまで踊りを凄く褒められる。

無邪気な感じの俺の踊りが変わったと。

ただひたすらダンスが好きだと言う気持ちで踊っていたこれまでとは
断然表現の幅が違うと、言われた。



————この感情は何だろう。



この身体から溢れる気持ちは何だろう。

大好きなドンへに感じていた、一生一緒に居たいという感情、離れがたい感情…
それとは違うこの暴力的な感情は何だろう。



———音楽が、止まる。



ヒョクチェは、今日は一人練習を終えたスタジオの真ん中で最近の日々を回想
していた。



———汗がこめかみを伝い、肩へほとりと落ちた。



もう、来る所までは来ていると思っている。
あの男は、本当に真っすぐに、俺を好いてくれている。


ジェットコースターみたいな、光速の愛情。


後は、俺が答えを出すだけなんだ。


曖昧に、欲望だけを吐き出して今みたいにはぐらかしていられる筈が無い。



———動悸が高まる。



ダンスを終えて肩で息をしていたヒョクチェだったが、疲れからか
迷いからか分からない変な興奮が身体を埋め尽くして行った。



このまま進んでいいのか分からない。
女の子としか付き合った事が無い自分には、これから先どうしたら
良いのかが分からない。


シャワー室に向かおうとタオルを取り、スタジオの隅に投げ捨てておいた
パーカーのポケットの携帯をちらりと見ると
メールの着信でライトが点滅していた。



シウォン。


メールを開く。



”練習頑張ってるかな。こちらは会議だ。まだまだ終わらない。
オーディションは明後日だね。会社からだが、今日も応援している。
god bless you.--シウォン”


その後に来ていた、もう一通のメールも開く。


”ドンへ、見つかったよ。明日説得して必ず連れて行く。取り急ぎ。”



心臓が張り裂けそうになって、一気に体中の汗が乾いて行くようだった。
身体が芯まで冷えて。


「なんだよ、ちくしょう。」


乾いた声が出た。


嬉しい、怖い、苦しい、愛しい、早く会いたい。


———誰に?


なあ、誰に会いたいんだよヒョクチェ?





ヒョクチェは、タオルをもとの場所に戻すと上着を掴んで
足早にスタジオを出た。





ヒョクチェ、イ・ヒョクチェ。

俺は俺だ、大丈夫。

風を切るように暗い路地を肩を抱いて進みながら、ヒョクチェは自分自信に
対して次々沸き上がる質問に下唇を噛んだ。



自分が何を考えているか分からないなんて初めての事だ。

分かんない。

まあ、なんとかなるだろ。

ならないよ、ヒョクチェ。


———また、誰かを傷つけるよヒョクチェ。



「馬鹿、くそ。」



自分を嗜めて、路地の曲がり角に差し掛かった時。


小さく、人の声が聞こえたような気がした。




”———にも———…だろうと…”




歌、だ。


ヒョクチェは足を止める。



この先は、入り組んだ階段があって、そこを上がると一段高い道があって…



それは胸を刺すような美しい歌声で。

気が付いたらヒョクチェは声の聞こえる方に、無意識に足を向かわせて
しまっていた。


声が、近くなる。



”平気なふりをしてきた———…しまった後”



甘く、切ない歌声。
透明感と深みのうまく混ざった、ちょっと聞いた事の無いような声。

どこかからか、漏れ聞こえているのか——…


そう思ったとき、階段に行き当たり上を見上げた。


階段の中腹に腰をかけて、ひざに手を組んで下を向いている男が居た。
小さく、それでも通る歌声で、静かに歌っていた。



”みんな 知っていたんだ 生気のない僕の目を見て——…

幸せだった日々の 僕とはあまりにも 違っていたから———”



ヒョクチェはその場で聴き入ってしまい、時間を忘れた。

ああ、知っている。この歌は。

悲しい、失恋の歌だ。




”君を 愛してるから この世は僕にとっては 大きな感動だった”

”あの瞬間を忘れたら 僕が生きて来た短い歳月はあまりにもつまらない”



なんでこんなに。
空気を裂くように、透明で、温かい氷みたいな———



”戻ろうと思うよ 君を取り戻そうと思う———…”



はた、と、そこまで歌って歌声が途切れた。

あれ?と思い、下を向いていつの間にか閉じていた目を開けて男を見上げる。


すると、その男はこちらを見ていた。

小首をかしげて、口元に薄らと笑みを浮かべているようだ。


見つかった、とヒョクチェは思い、へらっと笑いを返した。

「———えっと、…聞いてたんですか?」

と、その男が遠慮がちな声で話しかけて来る。


「ごめんなさい、つい、聞いちゃった。あんまり巧いから…」

「有り難うございます。」


その男がすっと立ち上がり、一歩、また一歩と階段を降りて来る。


「あなたの顔、見た事あります」

「え?」


その男の言葉に、一瞬どきりとする。
なんで?
———怪しい。


「リョウクのご飯屋さん——…」
長身の、ひょろりとした男が、もうすぐ近くまで歩いて来ていた。

一瞬、射竦めるような眼差しで見られたような気が、した。

目をこすって見返すと、そこには優しい、甘い眼差しでこちらを見ている
美青年が立っていた。

「あの店の常連さんじゃないですか?」


「あ、ああ!君も?」
ヒョクチェが返す。

「ごめん、俺分かんないかも——」


「俺はキュヒョン。チョ・ギュヒョンと言います。何かの、ご縁ですね?」



青年は、背後からの美しい月明かりに照らされながら
ヒョクチェに手を、差し出した。







To be continued...








※お待たせしました!Happy Together始動〜
オーディションも近付いて来てどんどん登場人物が増えて来てますが
皆さん付いてこれてますか?
わかりづれーよ、てな事があったら教えて下さいね。

今回キュヒョンが歌っていたのは、ソンミン氏がどこかで
キュヒョンが歌ってくれるとのろけていたという

ソン・シギョン
「君は感動だった」ー2集「Melodie d` Amour」

という曲です!

とっても良い曲なので、是非聞いてみて下さい!^^

ではでは、次に続きます。


2012年12月16日日曜日

Happy Together vol.22







Happy Together vol.22














キイ、と扉が鳴り、暗い店内に外の生ぬるい空気が侵入する。


「いらっしゃい。」


バーに立っていた白いシャツの似合う、笑顔の綺麗な店員が笑った。


「こんばんは。」


キュヒョンは暗い表情の侭ソファ席をちらりと見やり、そこに目当ての人物が
居る事を確認する。


「隣、良い?ヒチョルヒョン。」


「———あぁ。お前か…座れよ。」
ぐったりとソファに背中を埋め、携帯をいじっているヒチョルが
いつものように面倒くさそうに口を開いた。


「うん。」


「あ、ジョンス兄さん、ワイン頂戴。」


「はいはい、いつものね。」


「お前、自分で取りに行けよ。持って来させんな」
ヒチョルが、気だるい物言いでキュヒョンを嗜める。


「え…いいでしょ。俺客なんだから。」
キュヒョンもヒチョルのようにソファに背中を沈めると、もう動かない
と言うようにクッションを抱いた。


「お前大して金も使わないくせに、客気取りかよ」

「兄さんがいつも奢ってくれるから仕方無いじゃないですか。」

「好きで奢ってんじゃねーし。俺の店でもあるからな、金落とさないと。」

「はいはい。有り難うございます。」

「お前達、また喧嘩?」
ジョンスがにこにこ笑いながら、ワインを運んでくる。

「してない。」

「そうそう。喧嘩じゃなくて説教してんだよ。」

「はぁ…。これだから年よりは。」

「お前死にたいのか?」

「あーもう、喧嘩したら駄目だろー。仲良く、仲良く。」
ジョンスは全く二人の釈明を聞かず、ワインをテーブルに置くと
さっさとまたカウンターに戻って行った。


「ほら、呆れられた。」

「お前本当に生意気だよな。面倒くさいからしねーけどほんと殴りたい」

「俺は好きですよ、ヒョン。」

「…おえっ。」
ヒチョルは聞きたくない、と言うように耳を塞いで舌を出した。

「ていうか、相談があって来たんですけど。」

「んだよ。」
ヒチョルが、ワインをボトルから今まで使っていたグラスにどぼどぼと注ぎ
ながら一応耳を傾けてくれる。

「あ、そんなに入れると香りが駄目になるって言ったじゃないですか?」

「るせーな、飲めりゃ良いんだよ。ていうか注げよ。」

「ああ、で、相談なんですけど」

「無視かよ…」

キュヒョンはにっこりと笑いながら続ける。
「大した事じゃないんですけど。兄さん、リョウクの店の常連の…
 ドンへって知ってます?」

「ドンへってイ・ドンへ?何でお前が知ってんの?接点無いじゃん。」

「さあ名字は知らないけど。そいつについて知りたいんですよ。」

「———お前、何考えてんの?ドンへはめちゃくちゃいい奴なんだから
 手出すなよ。」

「…どういう意味で?手なんか出さないよ。知りたいだけ。あ、俺がこれ聞い
 たの秘密にしといて下さいね。」

「まぁいいか。ん〜ドンへはまぁ俺には劣るけど、顔は綺麗で、バカで
 あとバカで…うーんあとなんだ?」

「バカなんだ。」

「かなりな。幼なじみの男の事しか考えてないぜ、大体。」

「それ、ヒョクチェってやつ?」
キュヒョンは、一瞬であいたヒチョルのグラスに、今度は丁度いい所まで
ワインを注いで饒舌を促す。

「そうそう。お前よく知ってんじゃん。もう、あれは、あれだな。
 ほぼホモだな。」

「兄さんと一緒じゃないですか。」

「俺は両刀!間違うな、バカ。」

「はいはい、で?」

「面白いんだぜ、ヒョクチェがな…」

ヒョクチェという男と、ドンへの事をヒチョルが話すのを、キュヒョンは
注意深く聞き続けた。


多分ソンミンが突然俺に背を向けた、原因。

————面倒くさい。

でも、ほっといてなんかやらない。


せっかくの俺のおもちゃ、横取りしたら駄目だろ?
なあ、ドンへ。

黒い感情がむくむくと沸き上がり、自分にもワインをグラスの縁すれすれまで
注ぐと、一気に飲み干した。

ヒチョルの笑い声に、思考が掻き消されて少しだけキュヒョンも笑った。


ごめんね兄さん。

———ちょっとその情報、悪用するよ。




そんな二人の様子を、ジョンスはバーカウンターから冷たい目線で眺めていた。

暗い店内。

そこは夜の住人だけが集う場所。

昼は世間に名の知れているような人々——
そういう表立って遊べないような人間達が、夜は蝙蝠の様に
密かな享楽にいそしむ。


そういうジョンスも、共同経営者のヒチョルも、表の顔はまた、違う。


くせ者ばかりが集まるこの店で、ジョンスは人を観察する勘が
研ぎ澄まされていた。




———なんか、危ないなぁ。あいつ。




手元の、今まで磨いていた高級なクリスタルのグラスをグラスラックに戻すと
引き出しから携帯を取り出し、ある人物の携帯番号をダイヤルした。









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「————動くなよ?」




そう言ってヒョクチェは、シウォンに跨がったまま身体を屈め
暫くシウォンの耳や唇、顎、頬を、舐めたり、齧ったりした。


とてもくすぐったくて、つい声が漏れてしまう。


笑いと、心地よさが混じったような声。


ヒョクチェはそれが楽しいようで、シウォンが、ふ、と声を漏らした場所に
何度も唇を落として来る。


つい、その腰に手が伸びてしまいそうになるけれど、その度に
「練習があるから駄目」と遮られた。



————じゃあ、この後は?
挑発、迷い。



———君だって、狡いねヒョクチェ。


そうして、やっとそれに飽きた所でヒョクチェが少し身体を離し
猫のような目でシウォンを見た。

口元には薄い笑み。


「これ、脱がせて」


シウォンは頼まれるままに、その汗でしっとりと肌に張り付くTシャツを脱がせた。


ヒョクチェは満足げに頷くと、先程のようにまたシウォンの手を引き
怪我を気遣いながら廊下へと出る。



歩きながら。
その細い身体をつい観察してしまう。

既に何度か目にしているのに、見る度に———

鍛え上げられた細い筋肉の上に、薄く、白い皮膚を貼ったような身体。

高い腰の位置に、セクシーな腰骨。


見蕩れる、とは。

こういう事だ。



広い、あのレッスンのスタジオに招き入れられると、ここに座ってと
鏡の壁に背を向ける形で座るよう促される。


「練習、見るんだろ?」
ヒョクチェはスタジオの真ん中に立つと、腕を回しながら座ったシウォンを
一瞥して、笑いを含んでそう言った。


「嬉しいよ。さっきも…外から見てるとき、もっと見たいと思ったんだ。」

「ゆっとくけど、俺踊りだけは自信あるから。見蕩れんなよ?」

「…努力しよう。」

話しながら、ヒョクチェは軽いウォーミングアップを続ける。

筋肉をほぐしながら、ヒョクチェがダンスの説明をしてくれた。


———ビゼーの”カルメン”。その、ドン・ホセ役。
危険で魅力的な女を、我が物にしようと躍起になる衛兵の伍長。


バレエとブレイクダンスをミックスしたスタイルで、情熱と狂気を
表現しなきゃならない、と。


壁に取り付けてあるバーに片脚を乗せ、乗せた足に上体を倒して背中と腿を
伸ばしながら、ヒョクチェはシウォンに笑みを投げかけて来た。


「…あんたから、イメージを貰ったんだ。」

「俺から?」

「うん。あんたのそのライオンみたいな立ち居振る舞いが、イメージ。」

「…ライオン、みたいか?」

「うん、ドン・ホセよりは紳士的だけどね。どっか似てる。」
ヒョクチェが、履いていたシューズの紐を解き、スタジオの端に脱ぎ捨てる。

「ふうむ。俺のイメージを踊ってくれると言う事か。」

「…嬉しい?」
ヒョクチェの唇の端が、更にニッと上がる。

「嬉しい!」
シウォンは、両手を広げて満面の笑みを浮かべると、それに答えた。

「じゃあ、しっかり見てろよ?」
ヒョクチェが、スタジオの端のCDプレーヤーのスイッチを押し、フロアの
真ん中に下を向いて立つ。




ギターの、切ないメロディがふわりとスタジオに響き渡った。

アントレ。
まるでそこに女性が居るかのように、手の位置でそれを表現する。

———グラン・パ・ド・ドゥの流れか。

育ち故に、バレエやオペラ、ミュージカルに親しんでいるシウォンは
即座にダンスの流れを把握して、期待に胸を疼かせる。

突然音楽のボリュームが弾むように、上がった。

ヒョクチェは、下向きだった顔をさっと上げると、とんでもなく魅力的で、
悪い微笑みを浮かべて前を睨みつける。

変身、した。

そしてあろう事か、すぐに隣りに居る(であろう)女性を突き飛ばす動作をし
それを一瞥して大きく腕を広げ、女から離れる。

———ああ、二人で踊るアダージュを飛ばすんだな。
ヴァリアシオン。男一人の踊り、メインは跳躍。

まるでヒョクチェがスポットライトに照らし出されているような緊張感。
白い腕が、スッと伸び細く長い指が鍵盤を弾くように滑らかに動く。
そして、静寂。
愛や、渇望がその造形美を体現する身体に漲って行く。
肩が跳ね、裸の身体の骨の一つ一つが、まとう筋肉と連動してうねる。

その瞳は愛する女を見つめ続けて。
コマ送りをするように、胸を弾ませる動作をして。

溢れる感情をその泣き出しそうな程の鋭い目付きで表現して。

腰が波を打つように躍動する。

シウォンは、切なくて、心臓が震え出しそうだった。

———こんな目で、俺は君を見てるのか?
ビリビリと、体中にヒョクチェの踊る情熱が響き渡る。

突然ヒョクチェの動きが止まり、ゆっくりと背を向け自分の身体を抱いた。
悲壮。一人よがり。自制、己との葛藤。
滑るように最初の位置に戻ると、遂にそこに居る筈の女を抱きしめる。

決して優しい抱擁ではなく、噛み付き、呑み込んでしまう…ようなやり方で。

女を抱いたまま、身体を上下に揺らし、シウォンの方を眺めた。
かのように見える。

絶対に離さないという自信と、尊厳に満ちた眼差しで人を寄せつけず。
———動きだけではなく、魂で愛を踊っている。

何度も何度も表情が変わり、とろけてしまうような愛と、狂気じみた独占欲が。
激しく豊かなメロディに合わせて、ヒョクチェの身体の上を滑っていた。
稀有な感性。
天性の表現力。


それらが一斉にシウォンの脳内を全て、ヒョクチェ一色に染め上げていた。

気が付いたら、涙が目の縁まで沸き上がっていた。
かすかに震える手で、苦しいため息を漏らしてしまいそうな口元を覆う。


ヒョクチェが踊りを終え、肩で激しく息をして立ち竦む。

———そして、シウォンを見つめて唇を舐めた。

上気した頬で、ふうっと息を吐きながら満足げな表情で、嬉しそうに。
「良かった?」
と、聞いた。

ああ————

ヒョクチェ、君は。

誰をも魅了して止まない。

君の飴細工のように伸びやかに動く四肢をこの腕でひとまとめにして。
弾けるその金の髪の一本一本を掻き乱して。

命の躍動を、溢れる感性を、全部俺だけに向けさせたい。

ヒョクチェがシウォンに歩み寄り、目線を合わせてしゃがみ込む。

「———泣く程、良かったの?」
ふう、と息を吹きかけ、シウォンの前髪を払う。

「…良かった。」

それだけ聞くと、ヒョクチェは目を細くして大きく微笑み
シウォンの頬ににキスを落とした。


シウォンは、微動だに、出来なかった。


「あーあっつい。シャワー浴びてくる!」
そう言ってヒョクチェはすたすたとスタジオを出て行ってしまう。



ヒョクチェ。


———俺は理性が持つかどうか、本当に自信がなくなって来たよ…。







To be continued...






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